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【子供を虐待する親の心理】違う世界の話だと思っていませんか。

子供を虐待する親の心理って何?

こんなこと、あっちゃいけない。誰しもが、残酷な児童虐待事件のニュースに対し、そんな気持ちを持っていますよね。

カッとなって叩いたりする程度なら分かるけれど、火傷をさせたり風呂に沈めたりするような残虐な行為に至るのは理解できない……そんな声をよく耳にします。

なぜ虐待を止められないの?実の我が子をそんなひどい目に合わせるなんて同じ人間と思えない!

そんな、ハテナだらけのあなたに知ってほしいのは、カッとなって叩くのも、大けがをさせるようなことをするのも、死に追いやるのも、違いはないということ。根本的なものは同じです。

やってはいけないこと、犯罪ではありますが、そうなってしまう親は決して得体の知れないモンスターなどではなく、様々なバランスを崩しながら生きている人間だということを知ってほしいのです。

虐待する心理、その要因は1つではない

虐待する親の心理が分からないと言う人の多くが「そんなに子供が嫌なら、施設に預けるなり、児童相談所に相談するなりするのが親としての責任だ」と感じています。しかし、多くの虐待加害者はそれをしませんし、子供を離したがりません。

子供を手放そうとしないということは、心のどこかに自分の子供を自分の手で育てなければいけないという思い、そして子供を可愛いと思う気持ちがあるということなのです。

頭の片隅では子供を可愛いもの、守るべきものと思っている。しかし、行動や感情のコントロールが利かない、またはそのやり方が分からないのが実際なのです。

では、子供を虐待してしまう要因とは何なのでしょうか。

1.親自身がネグレクトを受けているケース

親自身が幼少期に、親からじゅうぶん手をかけてもらっていない、必要な教えやしつけを受けていないケースは多いものです。もちろん、暴力を受けて育っていることも。子供を虐待死させてしまう親は、100%虐待を受けているという事実があるのです。

普通の人の感覚では「子供は、優しく撫でて、美味しいご飯を食べさせて、子守唄を歌って寝かせる」という常識がありますよね。しかし、それはあなたがそうしてもらって生きてきたから「そうするのが当たり前」なのです。世の中には当たり前のようにご飯を作ってもらえない子供、温かい布団で寝られない子供、親が自分を見てくれない子供がたくさんいます。物心ついてからずっと、最低限度の環境しか整っていない子供にとって、それは「当たり前」です。疑問にも思わない、ということがあるのです。

そんな子供は思春期ごろになると外に出て、自分たちの人生を歩き始めます。自分たちの当たり前の感覚を頼りに、恋愛したり、結婚したり、子供を産んだりします。

でも、彼らは真っ当な愛情を知らず、それこそ生活する上での最低限度の感覚も違います。親から暴力を受けて育った人は、暴力が愛情だと思っている上に、欲望や感情のコントロールをどうやってすればいいかも、知らないということが往々にしてあるのです。

2.親として頑張らなければいけない、というプレッシャー

親として頑張らなければならない、という気持ちはあなたにもあるはず。そんな「誰にでもある親としての気持ち」があっても尚、虐待やネグレクトに発展してしまうことがあります。

例えば、結婚して子供が産まれたものの、子供中心の生活に愛想が尽きてしまった夫は失踪し、その後母親がひとりで子供2人を育てなければならない状況があったとします。最初は男手がなくてもひとりで頑張ろうと決意しますが、なかなか思うようにいかない育児や、自由のなさ、心のよりどころのなさ、幸せそうな他の家族、将来の不安、お金の不安、手の行き届かない部屋の片付けや掃除……

様々な要因や、そのストレス、どうにもならない現状が複雑に絡み合って、虐待やネグレクトというものに発展します。

決して要因はひつのことではありません。誰もが当たり前のように持っているものを持っていないことや、当たり前のように備わっている環境が備わっていないこと。抱えきれない問題に目をそらしてしまうのは、人間の自己防衛本能でないとは言い切れません。

3.脳のバランスが正常に保てない

虐待してしまう親の脳は正常なバランスを保てない状態にあり、この「バランス」はどんな人間でもときどき乱れるもの。
人間の脳には、4つのマインドがあり、それぞれは動物に例えて考えられています。

◆衝動・欲求・本能の「ワニ」

元々人間は、本能に従って生きており、今も欲求や衝動は人間の根底にあります。衝動的な行動や、自分の欲求や快楽に従うマインドです。これは、動物でいうと狂暴なワニに例えられています。

衝動や欲求が前に出すぎていると、弱い立場である子供にそのマインドが向けられてしまうのです。性的虐待などは典型的な例であります。

◆好き嫌いや不安の「馬」

個人的な趣味嗜好や、不安感などをつかさどるのは「馬」に例えられます。馬は好き嫌いの激しい動物であり、精神的に繊細な動物であると言われているため。個人的な心の問題が関係しているマインドです。

親の個人的な心の問題が暴走し、この馬の脳が前面に出てくると暴力などの身体的虐待が起こります。子供が「自分を否定する敵である」と錯覚することすらあるのです。

◆他者や社会への関心「猿」

猿の脳とされるのは、社会的な立場や他者からの目を気にするマインドです。〇〇してはいけない。〇〇でなければならない、など、外からの価値観を自分に当てはめる思考のこと。
猿の脳は、自分の立場を異常に気にするマインドであるために、自分の立場を危なくする存在は例え子供であっても敵だと思いこむ傾向にあります。もしくは、完璧な自分を外部に見せるために子供を隠し、放置して死亡させてしまうケースはこのマインドが関わっています。

◆目的・戦略・抑制の「人間」

善悪や、計画性、ものごとの目的などを理屈で説明しようとするマインドです。これは人間の特性です。
近年増加している言葉の暴力や過干渉は、この人間のマインドが前面に出てしまっている状態。親としては正しいことを言っているつもりであり「はっきり分からせよう」と必死になることで、結果的に子供を追い詰めていきます。

虐待する親の脳の特性バランス

脳の特性バランスは、その時々で目まぐるしく変わります。状況や、外部の刺激によって、変化しているのです。

そのため、誰しもこれらの脳内動物特性を持っています。それが、いつ何時、バランスを崩すかは分かりません。誰も、自分がそれを望んでやったこととは言えません。実際に事件を起こしてしまった人も、今虐待をしてしまっている人も、虐待を白い目で見ている人も、みんな同じです。

もちろん、育ってきた環境や、現在の環境要因、ストレスなどでその差は大きいものです。しかし、こうして脳の状態を見てみると、どんな残酷な事件にも理由があり、決してただのモンスターではないということが分かるのではないでしょうか。

残酷な虐待事件をどう見ていますか?

2019年、千葉県野田市で起きた虐待事件が世の中を騒がせています。小学4年生女の子のが、実の父親に虐待を受けて亡くなりました。稀に見る残虐な虐待の内容に、目を覆いたくなる人も多いようです。

ただ気になるのは「そんなことまで報道しなくてもいい」「その子どもが何をされたかまで知りたくない」という意見が非常に多いこと。

野田市の事件では、日常的な暴行に加えて、性的虐待の疑いも出てきています。そして、性的虐待があったという事実を知ったとたんに「そこまで報道すべきではない」「知りたくない」と目を覆う大人が多いということも見えてきました。

私個人としては、その子どもがどんな扱いを受けてきたのか全て報道すべきであるし、そういうことをしてしまう人間がいるということを、大人として知るべきであると思っています。

虐待を信じたくない「まさか」の気持ち

野田市の事件では、児童相談所が性的虐待の疑いがあることを分かりながらも、父親の元に返してしまったという事実があります。ここには、児童相談所の職員が「まさかそこまでは…」という信じたくない気持ちがあったのではという意見が多数寄せられているのです。

「まさか」という気持ちは、みんなが持っているものです。誰だって残酷なできごとを目の当りにしたら「まさか」という言葉を使って逃げたいものです。

この「まさか」の悪影響は、虐待だけでなくいじめ・性被害・貧困などにも関わっています。本当のことを勇気を出して話したのに「まさかそんなはずない」という一言で片付けられ、信じてもらえないことがあります。しかし、世の中には残虐なことをしてしまう人間がたくさんいるのです。

日本では、あまりにも内容のひどい事件などは報道規制がかかって、詳しく報じられなかったり、報道回数を少なくすることがあります。過去に日本で起こった残酷な事件を改めて見てみると、正直野田市の事件はさほど珍しくない虐待事件と思えるほどです。

虐待の事実を分かっていながらも「まさかそこまでは」の気持ちから親の元に返してしまった市の職員と「そこまで報じなくていい」「知りたくない」といって目を覆う国民と、何が違うのでしょうか。知りたくない、見たくない、信じたくないという気持ちが、子供を殺すのではありませんか。

虐待を防ぐには、もっと深い関心を持つこと

今も、世の中のどこかの家では、虐待を受けている子供がいます。報道されているものなんて、本当に氷山の一角です。

しかし、その氷山の一角についてですら、多くの人が「自分とは違う人間の話」として考えています。知りたくない、知る必要ない。そう思いたい気持ちは分かりますが、報道を見て「ひどい親がいるもんだな」「行政は何をしているのか」と他人事のように意見を言うのは簡単なのです。

私は、決して虐待する親を擁護したいのではありません。仕方なかったと言いたいのではありません。虐待は何で起きているのか、虐待している人と自分は何が違うのか、もっと知ってほしいのです。遠い宇宙で起こっている問題ではなく、あなたのすぐ近くでも起こっていることであり、原因を探って解決していかなければならない問題であることは明確です。

早急に解決すべき問題であるにも関わらず、根本の問題に気付いている人が少なく、さらに知ろうとしない人が多すぎます。今すぐに何かを変えるのは難しいけれど、多くの人が事実を知っているだけでどれだけ違うでしょうか。世の中の裏側に目を向けて、真剣に考える人がひとりでも多くいてくれることが、巡り巡って世の中を変えることにも繋がると、私は考えています。

(文・夏野新)

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