
愚痴は言わないほうがいい。愚痴は自分に返ってくる。愚痴を一番近くで聴いているのは自分だよ。
そうだよね~。確かに!愚痴は絶対言わないほうがいいよね……ってそんなに簡単に納得できるかいな!
私はこの「愚痴を言ってはいけない」という呪縛に捕らわれていた時期があった。いつも微笑みを浮かべて、嫌なことや理不尽なことがあっても、自分の捉え方を変えることですべてうまくいくかのように、思い込もうとしていたことがありました。
その時期は愚痴を言える人がいなかったこともあって、ひとまず自分の中に貯めこんで「見なかったふり」をしていたにすぎなかったんだなと思ったのです。
もちろん、これは精神論。愚痴はどんなものであっても、言わないに越したことはないと思う人もいるでしょう。でも、逆に「やっぱりたまには愚痴のひとつでも吐いて悪たれをつかなきゃやってられない!」と思う人だっているんです。そう思うのは決して「悪」ではありません。
愚痴とは、そんなに悪いものですか?

愚痴を言うことで、自他ともに癒される瞬間があることを知っているでしょうか。
愚痴って、種類や内容によっては、その場の「いい雰囲気」や「明るいモチベーション」を作ることにも繋がる場合があるんですよ。
私の愚痴を聞いて「あはは~!」と笑ってくれる友人。「それな!!わかりすぎる!」といって、私の愚痴を通して相手のストレスが発散される。そんな瞬間を、私は幾度となく体験してきました。
愚痴を言ってはいけないのでは?
そんな疑問をちゃんと持てる人の愚痴は、ほとんどが「癒され愚痴」なのではないか、と思うのです。
癒され愚痴の定義とは?

「癒され愚痴」とは、愚痴を吐くことで自分自身も解放され、また聞いてくれた人にも笑いや共感を与える愚痴のこと。
「嫌な上司あるある」とか「むかつく女子あるある」なんかは、愚痴を聞くことで自分がなんとなく抱いていた心のモヤモヤをはっきりと表現してくれるもの。だからこそ、指示されるし「わかるわぁ~!」と言ってシェアされやすいものです。
1.深刻過ぎない話し方
癒され愚痴の特徴として挙げられるのは「笑いにする」という点や「的確な指摘」によって、深刻な雰囲気をださないところにあります。
例えば、人気お笑い芸人が多数出演する「松本人志のすべらない話」という人気番組がそのいい例です。
あの番組の中で繰り広げられるものは、ほとんどが「愚痴」なんですよ。
- 相方がこんな失態をした
- 新幹線の中に居合わせた迷惑なファン
- 複雑な家庭に育った芸人の珍事件
- 先輩芸人の呆れるようなエピソード
まあいろいろな形がありますが、ほとんどは「愚痴」のジャンルになるのではないか、と思うのです。でも、話し方が上手であることや、それをしんみり語るのではなく「笑い」として提供することで、あの番組は人気番組になっています。
腹が立ったことも、理不尽な目に遭ったことも、恥ずかしい気持ちになったことも、全部「人の共感を得る」というところに持っていくことができるのです。
2.TPOをわきまえた愚痴
癒され愚痴のもうひとつの特徴は、TPOをわきまえている点にあります。
誰彼構わず愚痴をこぼすのは迷惑ですが「自分のことを絶対にわかってくれる」という確信のある人や集団の中では、愚痴もエンタメに変わるのです。
例えば、学生時代にバカなことを話す仲間だった人達が、大人になって就職し、仕事に明け暮れる毎日の中で久々に会ったとします。
このときに「こういう上司がいるんだよね~!」「あ~いるいるうちの会社にもいるで!」みたいに、共有できることってありますよね。私は、個人的にそういう時と場をわきまえた愚痴はすごく楽しいエンタメだと思っているんです。
ここには「相手への絶対的信頼」や「自分達が成長しているよね」という、確認や承認の効果もあると考えています。あの頃は若くてバカだった自分達も、少し大人になって上司の愚痴のひとつでも言い合えるようになった、という愚痴以外のプラスアルファ要素も垣間見えるものです。
だからこそ、愚痴は全面的にNGという風潮には、逆に「情緒をわかっていないな」という感じが否めません。
3.客観的視点からの愚痴
癒され愚痴で大事なことは「言う立場の人間が、一番正しい筋で話す」ということです。
愚痴で大事なのは、やっぱり「共感」です。
「わかる!」「あるある!」
この感覚が大事なので、愚痴を言う本人の話に筋が通っていないとだめなんですね。
自分がどうだった、自分がムカついた、という感情の前に、ちゃんと客観的視点で確認ができていることが大事なのです。
愚痴の内容にも「説得力」がないとだめだし、説得力のある愚痴は、他の人にとって非常に勉強になることもあれば「それ、自分も感じたことあるけど、嫌だと言っていいんだ!」という気づきにもなるわけです。
だからこそ、自分の普段感じる違和感やモヤモヤについて「説得力のある愚痴」を考えてみるというのも実に大事な行為だといえるのです。
では逆に、毒になる愚痴とは?

毒になる愚痴は、聞いている相手の体力や気力を奪ってしまうような、どんよりした愚痴のこと。話す本人は気持ちがいいかもしれないのですが、聞いている方がげっそりしてしまうのでは、自分と相手の関係性にも悪い影響を与えます。
1.相手が想像しにくいジャンルの愚痴
TPOをわきまえた愚痴は、癒され愚痴になるとお話しました。その逆で「相手が理解しにくい、想像しにくいジャンル」の愚痴は、負担になりがちです。
例えば、独身で自分のキャリアに向かって一直線の友人に、嫁姑問題のドロドロした愚痴を話す……というのは少し、ターゲットが違うんですね。
もちろん、相手が本当に自分の理解者と自信を持って言えるような間柄であれば、OKである場合も。しかし、相手「経験のないこと」については意見も共感もしにくいものです。
愚痴を言われても「何と声をかけていいかわからない」となってしまうパターンは、一番しんどい愚痴なんですね。でも、優しい相手であればあるほど、毎回じっくり聞いて「うんうん」「そりゃ大変だわぁ」と共感してくれることも。
そうすると、毎回相手を「愚痴を聞いてくれる人」として頼り過ぎてしまうこともあるのですが、相手からすると「毎回、理解しにくいダークな愚痴を聞かされる」と思われている恐れも。
2.何をどうしたいのかわからない愚痴
「疲れる」「めんどう」「だるい」といったような、漠然とした愚痴って聞いているのが本当に苦痛です。
例えば、「〇〇の仕事を引き受けたんだけど、やることも多いし精神的にもしんどいしほんとダルいわー。」みたいな愚痴って、聞いていてしんどくありませんか?
内容のない愚痴は、聞いている方も「何をどう変えていきたいのか」がわからないので、相図をうつのも疲れてしまうんです。
真面目な人だと「いつからそんな状況なの?」「じゃああなたはどうしていきたいの?」「周囲に頼れる人は?」っていう具合に、こっちから話を広げて深く理解しようとするんですよね。
でも、相手はそこまで深く考えず、感覚で愚痴っていることも多いので、のらりくらりと交わされて、結局「めんどうだわぁ」というネガティブな言葉でまとめるようなパターンがすごく多いんです。
こういう、とりあえず愚痴っておこうというような愚痴も毒になる愚痴に入ります。
3.人を攻撃するだけの愚痴
説得力のない愚痴は、聞いていても共感できないので疲れてしまいます。
特に、本人の個人的な感情や嫉妬などからくる愚痴は、聞いている方も毒をもらいやすいですね。
- あの子はぶりっこでムカつく
- あいつは太ってる
- 気持ち悪い
- ぜったい〇〇してる
こんな風に、人の外見の誹謗中傷や、想像でものを言うような愚痴は、毒になる愚痴です。こういう愚痴を吐くのが習慣になっている人は、人を批判することを面白がっていたり、弱い立場の人の気持ちがわからないという場合も少なくないのでは。
愚痴はあくまでも「できごと」や「自分が感じたこと」を元に話すものであって「人」そのものの特徴を中傷したり、想像で人物批判をすることではないのです。
こういうのは「悪口」「陰口」であって、愚痴とは違いますのでご注意ください。
人を癒す愚痴は、内容の説得力と共感性が重要!

愚痴は、話し方や内容の説得力によっては「人を元気づけたり、楽しませる効果もある」のです。
自分がなんとなく感じていた違和感を、誰かがはっきり口にしてくれたときの感動。本当は感じていたけど、自分だけかもしれないと思って抑圧していたものを、誰かがポロっとこぼしたときの驚き。
そういうのって、相手にとっては「愚痴吐いちゃった」と思っても、こっちからすると「話してくれてありがとう!」「人っておもしろい!」というポジティブを感じることもあるんです。
愚痴とは、決して悪ではありませんよ。愚痴を言わないで、いつもニコニコと穏やかなだけというのは、何だか人間味に欠けているし、息がつまる。例えいつも穏やかな人でも、ときどき毒を吐いたりすると「え!〇〇さんもそんなこと思うんですね!嬉しい!」と、親近感を覚えてもらいやすくなったりもするんです。
だから、愚痴が全て悪いとか、愚痴は言ってはいけないなんて思わないでほしい。
話し方とTPOさえわきまえていれば、コミュニケーションツールにだって成り代わる。だからこそ、愚痴を言い合える相手を大事に、配慮することも大事でしょう。
あなたも、癒され愚痴を上手に使って、人間味のあるおもしろい会話を楽しんでみてはどうでしょうか。/Kandouya編集