
「人の痛みがわかる人」というのは、実際にいます。
生きていて頻繁に出会えるわけではもちろんありませんが、時々そんな人に、出会うことがあります。
ただ、その人が「人の痛みがわかる人」かどうかって、最初はわからないですよね。やっぱりまず「なんかいい人だな」とその人からにじみ出るオーラのようなものに魅かれて、知ってみると「やっぱり…」と感じることが多いような気がします。
今回は「人の痛みがわかる人」について、表面的なことだけではなく、深く掘り下げてみましょう。そして、友人でも恋人でも誰でも、「人の痛みが分かる人と一緒にいたいなあ」と思う人は、その見分け方も参考にしてみてください。
「苦労しているから」というだけで人の痛みがわかるとは限らない

そもそも、人の痛みがわかる人ってどんな人でしょう?と問われたら、やっぱり「たくさんの苦労を重ねていて、経験豊富な人じゃない?」と思うのではないでしょうか。
確かにそれも間違いではありません。しかし、必ずしも「苦労」や「痛みの経験」が他人への理解や優しさにつながるとは限らないのです。そこのところから、解説していきましょう。
「つらい出来事」に対して思考していない人もいる
人生には、自分ではどうにもできないような苦しい体験や、しんどい出来事がありますよね。心を痛めた経験があればあるほど、同じような境遇の人の気持ちが分かるから、理解してあげられるんだ。そう思う人は多いでしょう。
しかし、いくら大変なこと、辛く苦しい経験をしても、そのことに対して【思考していない】人もいるのです。要するに、その出来事について深く考えたり、本質を見つめたり、なぜそういうことになったかについて考えていないということ。
「イヤでも考えさせられるはずだ」と思う事でも、その時はガツンと頭を打たれたり悩んだりしたものの、なんらかの【自分なりの解釈】や【答えのようなもの】を見出していなければ、忘れてしまいます。忘れるのが、人間なんです。
身に起こった痛みをすべて人のせいにしていることもある
色々なことを経験していて、悲しいこともしんどいこともたくさん知っているけれど、そのすべてを【何かのせい】にして心を塞いでしまった人。こういう人は、経験豊富でも、人の痛みに共感するよりは人間不信になります。
人の痛みが分かる人間不信と、自分の痛みを全部人にぶつけてしまう人間不信があるのです。この場合は、どんなに痛みの経験が多くても、そこから何かを考察したり得ることがむずかしいのですね。
そして本人としてもそんなつもりもないし、逆に人間嫌いになって、人の痛みなんてなんでわかってあげなくちゃならないの?どうせ裏切られるのに。といった心境になりやすいのです。
そこそこの年齢になれば痛みが分かる、というのも間違い
世の中にはたくさんの人がいて、様々な考え方の人がいます。それでも、よく言われるのは【年齢的な部分】ではないでしょうか。極端な経験をしていなくとも、もういい歳なのだからある程度は人の気持ちがわかるはずだ、というアバウトな見方のことです。
このなんとなくな仮説を信じて、恋愛の相手に年上を選んだりする女性も多いですが、いざ付き合ってみると全然違ったということもよくあるパターンです。
長く生きれば生きるほど人生経験は増えます。ですが、人の痛みが分かるかどうかは全くの別問題なのです。その人が若かろうと、年齢を多く重ねていようと、考えていなければ、年齢はただの数字に過ぎないのかもしれません。
ですので、たとえ親であっても例外ではないということなのです。
本当に「人の痛みがわかる人」の特徴と見分け方

では、人の痛みがわかる人というのは、どんな特徴があるのでしょう。
他人と完全に痛みを分かち合うことはできないと知っている人
人の痛みが本当に分かっている人は、むやみに生ぬるい気休めや慰めの言葉を使ったりしないものです。痛みがわかるからこそ、「人間の痛みは人それぞれのもの。完全に理解できるなんて考えは甘い」と気づいています。
そのため、簡単にわかったようなことは言わないし、最後には自分の意思で決めなくてはならないと理解しているのでしょう。いいところは、「そんなことで悩むな」とか、「まだ若いからわからないんだよ」などと一刀両断しない懐があるところです。
「あなたにとっては、とても重大なことなんだね」と認めてくれる強さと目線を持っている人なのです。
基本の考え方が「反面教師」な人
反面教師とは、何かあった時に「自分はこうはならないようにしよう」と教訓に変えたり、いわゆる「人のふり見てわがふり直せ」的なことが自然にできるタイプの人です。
こういう人は、一つの経験から、悪い事であってもそこから何かを学んだり得ようとする思考力の高い人物。だからこそ、人生経験を積むほどに人の痛みが分かる人になっていきます。
吸収する力も高いので、人に対する接し方や、人間関係でつまずいてしまったときの思いやりの持ち方をしっかりとわかってどんどん成長する貴重な存在でしょう。こういう人は、簡単に他人を批判したりもしません。
「ドヤ顔」で人生経験を語らない人
人の痛みが分かる人ほど、そのことをひけらかさない傾向があります。たとえば「自分も前はこんなことがあったけど今はこんなに立派になっているんだ。(どうだ凄いだろ)」というアピールなど、人に対してしないのです。
理由は簡単で、そんなことをしても意味がないからです。「意味がない」ということを分かっているから、人が辛そうなとき、自分のさじ加減だけでアドバイスをしたりはしないでしょう。
自分の引き出しでしかものを見られないのは、人の痛みがわかっていない証拠です。本当に人の痛みがわかる人は、どんな綺麗な言葉をかけるより、心の余裕を持って「ただ話を聞いて、その人のそばにただいるだけ」ということができるんです。
【騙されるな危険!?】人の痛みがわかる風な優しさって?

人の痛みがわかる人がいる反面、「人の痛みがわかる風」なちょっとめんどくさい人がいることも事実です。人の痛みが分かる人=優しい、という簡単な発想をしていると、あとから「そうでもなかった」と落胆することもあるかもしれません。
相談に乗るふりをして、自分を満たしている
人の痛みが分かる風な人は、相談に乗ったりアドバイスをすることが大好きなんです。「どうしたの?」「大丈夫?」とささいなことでも声をかけ、一見、「すごく優しくて人の痛みの分かる人だなあ」と思われやすい。
でも、言葉で人を巧みに説得できたり、やたらとアドバイスをしようとしてくる人の中には、本当は自分の心を満たしている人もいます。「自分はこんなにいい人だ」「感謝されたい」というい思いや願望を秘めているため、見返りを求める傾向が強いです。
こういう人は、ちょっと気にいらないことがあると怒ったり、手の平を返して悪口を言ったり、「あんなに助けてやったのに何もお礼がない」と後になって騒いだりするので、要注意かも…。
「嫌われる覚悟」がなく優しさを振りまいている
誰からも好かれたいと願い、嫌われたくない、悪い人と絶対に思われたくない人。こういう人も、行動だけ見れば「人の痛みが分かる人」に見えることがあります。でも、その本心は、痛みが分かるわけではなく、傷つけられたくないのではないでしょうか。
誰にでもいいように言っていれば、誰からも傷つけられない。批判されることもない。それはそうかもしれませんが、すべて抱えきれるわけがありません。結果的には、誰とも深い関係になれず、誰の痛みもわかっていないのではないかと考えます。
人の痛みが分かる人は、時に自分を犠牲にしても、大切な人のために間違いを間違いと言える人だから。
「わかるよー」という言葉を多用する
いちいち「わかるよ」「その気持ちわかるわかる」を多用する人。「分かってる風」を装うことで、コミュニケーションをとる人です。確かに「わかる」と言ってくれるだけで親近感を覚えますし、嫌な気はしませんよね。
でも言いすぎる人は、逆に不信です。人の痛みなんて簡単にはわからないからです。コミュニケーションのツール的に「その痛み、私にはわかる」というスタンスを取っているのですね。それも一つのやり方ではありますが、本当にはわかっていない人でしょう。
本当に人の痛みが分かる人こそ、あまり多くを語らないのかもしれない

筆者の経験でもありますが、本当に人の痛みが分かる人って、うるさくないんです。どちらかというと、少し静かに物事を見ているし、いちいち語らないし、余計なことも言いません。
それでも本気で助けを求めた時には、びっくりするくらい的を得たことを言ってくれたり、「本当はわかってるよ」とそっと伝えるように、気持ちを汲んでくれたりするんです。
自分より相手を思っている人って、そうそういません。でも、本気で相手を思うことのできる人は、痛みがわかるからこそ、自己主張しないのではないかと感じています。見返りなど求めず、あえて相手の痛みを背負い過ぎない。そんな人こそ、本当に人の痛みが分かる人なのかもしれません。/kandouya編集部