
想像でものを言ってはいけない……と一概には言い切れないのですが、筆者は想像でものを言われて傷ついたり、憤りを感じたことが、今までの人生で多々あります。
想像する、というのは非常に大事なことです。理解できない人のこと、嫌なできごとの背景……いろいろなことを想像することにより、自分自身のストレスが軽減したり、やり過ごす方法がわかったりすることもありますよね。
でも、想像でものを言ってしまうことで、人を傷つけることは往々にしてあります。この記事では、想像でものを言ってはいけないのはなぜか、そして想像を言葉にするまでにやっておくべきことをお伝えします。
想像でものを言うことで、人を傷つけてしまうケースとは?

自分の想像を頼りに言動することにより、人を傷つけてしまうのはこんなときではないでしょうか。あなたにも、思い当たる節があるかもしれませんし、実際に自分が傷ついた体験があるかもしれません。
相手のことをよく知らない場合
相手のことをそれほどよく知らないのに、勝手な想像でものを言うことで人を傷つけることがあります。わかりやすい例で言えば……
- 見た目がギャルだと中身が軽い
- 若い母親は総合的に未熟
- 役所の人は冷たい
- 肩書のある人はすごい人
ざっと一例ですが、その人のことをよく知らないと、外見的な要素や、その人の肩書や地位、職業、性別などによって相手の中身を想像して、相手の人間性を勝手に決めてしまうことって、普通にあると思います。
自分の中の経験や、感じ方で想像してしまう
自分の経験や、自分の身に置き換えたときの感覚で物事を判断してしまうこともあります。相手のことをよく知らない……という前項にも通じますね。
たとえば……
- ○○なときは△△というパターン化
- 前にもこういうことがあったから
- 自分がそう感じるから(自分に置き換えて考える)
確かに、経験や自分の身に置き換えて考えることって大切なんですが、人はみんな違った経験と感受性をもっているので、それが必ずしも当てはまるとはいえません。
でも、自分の中に確固たる自信があると、どうしても「このパターンはだいたいこうなのよ」という感じで、それを言葉にしてしまいがちなんですね。
「自分はわかっている」という過信があるとき
自分の中のイメージや、経験、自分のみに置き換えたときのことをすべて考慮して「自分はわかっている」という過信におちいることがあります。
- 色々経験してきた
- さまざまなケースを見てきた
- テレビでそういう話をよく聞く
- 誰かの受け売り
内容は何でも良いのですが、「自分はわかっている」「理解している」という過信があると、どうしても想像でものを軽く行ってしまうことも増えると思うのです。
その、過信している態度が口調や行動に表れて、結果的に「想像でものを言うんじゃないよ!」と反感を買われてしまう……というケースも多いのではないかと感じます。
想像力を活かすには? 想像したことと同等の情報収集が必要

想像が膨らんだり、過去の経験や人から聞いた話に似ているな、と思ったときでも、それをそのまま言葉にしてしまうのはちょっと待ったほうがいいでしょう。自分の想像や直感を大事にしつつも、それと同等の情報を仕入れることが必要です。
想像を真実に近づけるには、たくさんの情報が必要
想像力をもって人に接するためには、多くの情報が必要です。たったワンシーンのことだけを見て、そこから想像を膨らませるのは「適切な想像力」ではありません。少なくとも、多種多様な人が生きるこの世界では、通用しないでしょう。
自分の想像や直感といったものを、真実に近づけるには、それなりの情報を収集して、その想像や直感を裏付けていく作業が必要です。しっかり自分が納得できるまで裏付けが取れて初めてそこで「もしかして、あなたは〇〇なんじゃないですか?」という風に、想像を言葉にすることが許されるのではないでしょうか。
想像でするアドバイスほど、人を傷つける
仕事や人間関係、家族関係などで、人にアドバイスや助言をする機会は多いものです。しかし、想像でものを言うアドバイスほど人を傷つけるものはありません。
たとえば、想像がまったく違ったら「そんなことないですよ、私は〇〇ですよ」とはっきり言える人ばかりではありません。「この人は、良かれと思ってアドバイスしてくれているんだから、ありがとうと言って飲み込んでおこう」とする人も、とても多いです。反論しない、騒がない分、その人は自分を犠牲にして傷ついてしまいます。
もちろん、まったく人を傷つけずに生きるなんてことはできないわけですが、できるだけ勝手な想像で物事を判断しないということは大事なのではないでしょうか。また、自分の想像や、直感的な推測が立った時は、それを裏付けるような情報を約三収拾していくべきなのではないか、と私は感じています。
想像することは大事、しかし「言葉にするかどうか」はそれ以上に大事

想像力をもって人に接することは大事ですが、その想像力がワンパターンではダメなのです。
たとえば、ちょっと聞きかじったことや、テレビやネットで目にした話、世の中ってだいたいそうだよね、という「普通」の概念。
そういったものを、目の前の問題のそのまま当てはめるのは、想像力ではないのです。それはパターン化であり、レッテルを貼っているのと同じだと私は考えます。
確信のないことは、あえて言わなくてもいいのです。もちろん、その話の内容にもよりますが、たとえば恋愛・子育て・人間関係・過去の嫌なできごと・夫婦関係・家族関係など、人の心理に深く関わるような内容は、より注意深く話す必要があると私は感じます。
もしもあなたが、誰かに想像でものを言われて悲しんでいるのであれば、その言葉は気にしないでOK!
そして、自分も想像でものを言っているときがあるな……と感じるのであれば、これからは「想像を裏付ける情報」に注目し、その推測を確固たるものにするまで言葉にしないということを徹底してみては。
言葉にしてしまったあとでは遅い……ということは、日常の中でよくあることです。絶対的信頼感のあるような間柄でない限り、言葉にふっと出したことが人の傷口を大きくえぐってしまうこともあります。
言葉は慎重に選びたいものです。そして、人はひとりとして同じではなく、パターンやレッテル貼りが通用しないこともあるのを、多くの人に知って欲しいなと感じます。/Kandouya編集部