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人を信じたいけど、信じられない。そんな経験ありますか?

読者の方々からのメッセージを募集開始したところ、さっそくメッセージをいただきました!

お寄せいただいた方、本当にありがとうございます。

読者様からの投稿内容は「信じたいけど、信じられない」気持ちについて。

信じたいけど、信じられないことありますか

損得勘定ないのは子供の頃だけ、信じたいけどつかれた

投稿者(K・Yさん)

Kandouyaでも、人間不信に関する記事をアップしています。何を隠そう、私たちがまさに「信じたいけど、信じられない」という気持ちの塊です。

信じたいけど、信じられない

私は、けっこう現在進行形で、人を信用しきれないところがあります。たとえば、相手が自分を褒めてくれたとき、自分を輪の中に誘ってくれたとき、「今度食事でもしましょうね」と誘ってくれたとき。

いろんな場面で、私は人を信じていません。社交辞令で言っているのかもしれないし、なんとなくその場の流れで言っただけかもしれない。仕事で褒められたときも、辞められると困るから引き留めるために言っているのかも……なんていう風に、悪いケースの想像ばかりが膨らんでしまうんですね。

でも、そのいっぽうで「本当に、そう思っていいのだろうか」と期待する気持ちもあるんです。信じたい、これを信じることができたら、私もちょっと人間的に明るく、成長するかもしれない……なんてことも思います。人を信じるということが、自分の殻を破ることなんじゃないかな、なんていう風にも思います。

だから、信じたいけど信じられないという気持ちは、常に隣合わせです。本当によくわかるし、それは私だよって言いたくなるくらい。

どんなに信頼関係があっても、信じることは揺らぐ

私は色々な記事で「たった数人の信頼できる人を見つけて」と、よく書くんですね。実際に私は、ここの編集長の森花と、夫だけは信頼できる人だと思っているんです。確かにこういう安全基地は大事です。

でも、信頼できる関係性でも、相手を信じることは揺らぎます。

たとえば「顔では普通にしているけど、ダメなヤツだって思っているんじゃないかな」と勘ぐったり、ダメ出しされたら「私にがっかりしているんだろう」と解釈したりすることもあります。

「やっぱりこの人なら大丈夫」という安心感を得られるときもあれば、逆に「この人にも嫌われるおそれがあるんだ」ということを突き付けられるときもある。だから、他人を信じるというのは「信じる」か「信じないか」の2択ではないなぁ、と私は思っています

信じていたのに、裏切られた。裏切られたこともあるけど、そのあとにもまた縁ができたりすることもある。それに、不安になって離れてしまったこともあったけど、しばらくしたら「なんか、やっぱり戻ろうかな」と思ったりすることも人生の中にはあります。これって、基本的に相手は関係なくて、自分の心の状態に波とか、相手の状態とのバランスなのかもしれない……なんて思います。

私は、数ヶ月に1度周囲をキッと睨みたくなるくらいに警戒心が働いてしまうこともあるし、この世のすべての人が自分をあざ笑っている気持ちになることもあります。

心の状態に波があるのって、情緒不安定とか、弱いとか、そういう風に考えやすいですが、最近になって私は不安定なのが普通だと思っているんですね。バイオリズムって女性はもちろん、男性にも関係があるし、ストレスや疲労の状態も日々違います。だから、自分が落ちているときは誰も信用できないし、近寄るものを睨みつけたくなってもいいかなと、私は自分にそれを許すようにしています。

自分も損得勘定で動いていることに気づいた

これは私の個人的な場合なんですが、私は子どもの頃から損得勘定で動いていることが多かったなと、30歳になった今思います。

「自分がどうしたいか」ではなくて「自分がどう動けば周囲が納得してくれるか」ということを基準に動いていたんですね。

たとえば、7歳の七五三の絵馬には「私がいい子になれますように」と書いてしまうとか、周りの可愛い女の子に合わせて「将来の夢は美容師です」とか言っちゃうような子でした。

人に気に入られることが、自分の言動の基準なんですよ。あと、自分をよく見せたいんですね(笑)

私みたいに子どもの頃から素を出せない人もいると思うし、思春期の多感な時期に入ってから人を信じられなくなるケースも多いです。

また、そもそも「自分が人を信じていないことにも気づいていない」ということもあると思うんです。

私は本当に最近まで「この人は自分にいろいろとよくしてくれるから」という理由で自然に人と交流しているつもりだったんです。でも、何ヶ月も経つとしんどくなってきて、実は“ 恩を返さなければ ならない ”という感覚で動いていたことに気づいたりしました。心が動いていなくても、そうすべきだし、そうしなければならない……というのが、無意識のうちに行われていてそれに気づきもしないんです。

でも、相手は私がそんな感覚で動いているなんて、知らないことが大半。伝わってしまうこともあるかもしれないけど、わからない人はわからないです。他人の心の中は見ることができないし、本音や真実なんて絶対に知ることはできません。相手が「これが本音です」と言えば、それまで。その先にどんな感情が隠されていても、私たち他人にはそれを知ることができないんですよね。だから本当に難しい。

なので「信じる」っていう概念そのものが、存在しないような気もするんです。相手が損得勘定で動いているかどうか、ってことよりも、自分が相手に関わりたいか、関わりたくないかで動けることがいちばんキーポイント。でも、そこもまためちゃくちゃ難しいので、悩んでいる人はかなり多いと思います。

自分の感情に素直に従うのって難しいですね。なので私は、相手を「なんか好きなんだよな~」「なんか惹かれるものがある」みたいな、理由なき好みを、最近は大事にしています。/Kandouya編集部

 

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