人間関係のバランスは、ひとたび崩れると自分も相手も疲れてしまい、気づいたときには「なんでこうなってしまったんだろう」と後悔することも多いです。
「諦める」というと、あまりいい意味に捉えない人もいるかもしれませんが、ある意味何においても「ほどよく諦める」ということは必要なのではないか?と筆者は思っています。
この記事では、人間関係において悪い意味ではなくいい意味で諦めることについて書いていきます。
人間関係を諦めるって?マイナスな意味だけじゃない

人間関係に対して「諦める」とは言っても、全員に対してはなから関わることを諦めるとか、「しんどいから最初からもう全員をうわべの付き合いにとどめよう」と決めるわけではありません。
自分にも相手にもいい状態で「諦める」というのはこういうことではないでしょうか。
「相手の気持ちや意思を100%に近い形で理解はできない」と諦める
時々、すごく親しくなって心の距離がとても近くなると、まるで以心伝心しているかのように、相手のことを理解している気持ちになることがあります。
同時に、相手も自分の事をきっと理解してくれているはずだ、と強く思うのです。これは恋愛や仕事などに関わらず、友人関係でももちろん同じです。
ですが「どこまで行っても、完全なる理解というものはない」と常に考えることで、相手に過剰に期待したり求めたり、慣れの中で「言わなくてもわかるだろう」という慢心が起こりづらくなります。
人は自分が予想していた範疇のことから外れた事態に遭遇すると、感情的になりがちです。「あなたがそんなことを言うなんて」「そう思ってたとは思わなかった」
そうした「分かり合えているはずだ」という思い込みが、すれ違いの原因になっていることは多いでしょう。もしも相手が予想外のことを言ったとしても、それは嘘などではなく「そう思ってたんだね」と思うことができれば楽になります。
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「ずっと変わらない人間はいない」と諦める
すごく相性のいい誰かに出会うと、ずっとこのまま変わらなければいいな…と願ってしまいませんか?大事に思ったり好きに思うほど、変化を恐れてしまう人もいるのではないでしょうか。
でも、本当は相手も自分自身も、日々の中で少しずつ変化していっているのです。これはもう意識していない、無意識の範囲のことかもしれません。
むしろすごく気の合う人に出会えたことで新しい感性に出会ったり、新しい場所に踏み出せる人もいます。そういった意味で「変わらない人はいない」とプラスの意味で諦めることは、自分の成長や相手の成長に繋がっていくでしょう。
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「信じられなくてもいいんだ」と自分を許すこと
「諦める」ことは「許す」と言い換えることもできます。真面目な人や、幼少の頃から人間関係を上手に作ることが苦手だった人、過去の経験から愛着形成が上手くいっていない人などは、「信じられるかも」と誰かに思うとグッと入り込んでしまうことがあります。
それは、元々が人間関係に対して臆病だからこそ、信頼できるかもしれないと感じた時に嬉しいですし、感動さえ覚えるからかもしれません。
でも、かと思いきや、やっぱりうまくいかなかったり、この間までは信じていたのにやっぱり「うーん」となった時、自分にがっかりして「私ってやっぱり性格悪い」などと落胆してしまうこともあるでしょう。
でもそれでもいいのです。人の心は一定ではありません。「信じられないなら、無理しなくたっていい」と自分を許すことは大切なことです。諦めるとも言えるし、自分も相手も縛らないとも言えるからです。
誰も信じられない。そんなあなたでもいい
人間関係を「諦める」というのは、人生に柔軟性を生む

「諦める」という言葉には、「もういい」とか「どうせこうだから」というような、投げやりなイメージがくっついてきがちです。
でも、諦めるというのはそんなに悪い事でしょうか。少なくとも、筆者はそう思いません。なぜなら、諦めることは放棄しているとは違うからです。
いい意味で諦めるというのは、行き過ぎた執着や期待や見返りを減らし、人生に柔軟性を生みます。そうすることで、自分自身の心も、相手の思いも、無下にしないでよくなっていくのではないかと思っています。/kandouya編集部