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心配は愛情なのか?束縛や干渉と、愛情と信頼の違いとは

「心配」するのは、相手を愛しているからでしょうか。

もちろん、大切な人がつらい思いをしていたら悲しいし、親しい人が重い病気にかかったりしていたら、そりゃあ心配です。不安になるのが人間心でもあると思います。

でも、この「心配」と「愛情」「思いやり」の境目はとても曖昧なものであると感じています。悟りをひらいたような、人生や哲学に達観した人でない限り、心配からくる行動を起こしてしまうものです。

しかし、心配が行き過ぎた場合、ハッキリ言って相手からは嫌われてしまいます。

嫌われて離れていくならまだしも、相手を傷つけることになったり、相手を洗脳してしまったりすることも決して大げさな例ではありません。

「あなたのことが心配だから」

「あなたの為を思って……」

という言葉や行動によって、傷つけられたり、間違った概念を刷り込まれてしまう人もたくさんいます。

この記事では「心配」と「愛情」の違いは何なのか?何に気をつけて人との関係を築けばいいのか?ということについて考えてみたいと思います。

「心配」と「愛情」の違いとは

恋愛関係や親子・家族関係、親しい友人など、距離感の近い人間関係では、「心配」を「愛情」だと錯覚して、相手に振りかざしてしまうことがあります。

愛情からくる「心配」

心配は、相手のことを心の中で想うことです。

文字通り「心を配ること」と書きますよね。

心の中でしっかりと相手を想っていれば、相手をそっと見守ることも、お願いを聞き入れてあげることも、ときには叱責してあげることも、必要に応じてできます。

つまり「相手にとって、今一番必要なことは何か?」を考えること

それが「心配している」ということなのではないでしょうか。非常にシンプルなものですね。

心配からくる「執着・束縛・干渉」

誰しも、心の中では大事な人のことが気になって、心配でしかたがないものです。

しかし、不安な自分の心を今すぐ鎮めたい!

その欲求が表に出てしまうようになると、それは執着や束縛、干渉という形になって表れてきます。

相手に関与して、入り込んで、何とかしようとするのです

この「何とかしよう」とする行為は、相手のためではなく、自分の不安を早く鎮めたい気持ちからきていますよね。

すると「自分はこうして、ああして、こうなったら不安がとれるのに」という自分の希望に従って、相手の動きをコントロールしようとするのです。

愛情からくる心配は「相手にとって、今一番必要なことをを探る」ということなのに対し、こちらは「自分の不安を鎮めるために今一番必要なこと」しか頭にありません。

一見、相手のために必死になっているようですが、実は自分のことしか考えていません。

相手が何を望んでいるか、相手は今どうしたいのかを無視して、入り込み、騒ぎ立てている状態です。

心配と愛情は、近しい関係であればあるほど混同する

相手との関係が親密であればあるほど、自分の不安と愛情を混同します。

たとえば、知り合いの人が、病気になってしまったらしい。そんなことを聞いても、おそらくあなたは「私が行って励ましてあげなくちゃ」なんて思わないはずです。

「心配だな。でも、あまり深く知っている中じゃないし。お見舞いに行ったら迷惑かな。でも、顔を見せるだけでもちょっと嬉しい気持ちになるかもしれない。でも病気なんだし、体調が悪いときに他人がきたら疲れるかもしれないな」

そんな風に、いろいろと可能性を考えて「相手が何を望むか」「常識的に考えてどうなのか」ということを検討しやすいと思うのです。

しかし、これが家族や恋人になると一気に「私の出番!」という感じに燃えてしまう人って、少なくないと思うのですね。相手がどうしてほしいか、ということよりも「自分がどうしたいか」を前面に出してしまうのです。

それはなぜか?

甘えられる存在だからではないかと、私は思います。

恋人関係の例

たとえば、恋人が風邪をひいたと聞けば、鍋焼きうどんの材料でも買い込んで、ひとり暮らしのアパートに行って看病しようとする女性の絵が思い浮かぶ人も多いのでは。

彼が「看病しにきて」と言ったなら、彼女の上の行為は愛情からくる心配です。

でも彼が「体調が悪いから、今日は合うの無理そう」と言ってもなお「私が看病しなくちゃ」と、押しかけてしまったり「大丈夫?大丈夫?」と連絡をガンガンしてしまったりすることも、ありますよね。

こんな場合に起こる執着や干渉は「会えないと寂しくて困る!!そうならないためにも私が看病して、ご飯を作って、魅力的な女性であることを改めてわかってもらう必要がある」というような不安からくる行動である場合もあります。

それも、すべてが無意識なのがこわいところですね。

体調が悪いというのはあくまでも例なのですが、これが「心の問題」だったりすればなおさら対応は難しくなるものです。

親子関係の例

親子関係でも同様のことがいえます。

たとえば、門限が18時と決まっている家庭があったとします。この家には高校生の娘さんと両親が住んでいる。

娘さんは門限の18時に、1時間ほど遅れてしまったとしますね。

するとお母さんは娘さんに

「門限は18時だって決まってるでしょう?なんで遅れるの!親に心配させて、女の子だから何かに巻き込まれてる可能性もあるって、いつも心配なのよ」

なんて言うことも、普通によくあるパターンだと思います。

でも、これも結局お母さんが不安なだけです。

門限が18時でも、もしかしたら娘さんは、ちょうど帰りがけに誰かに呼び止められて、ついつい話し込んでしまったかもしれない。好きな人でもいて、帰らなければいけないその時間に、今しか接するチャンスがなかったかのもしれない。電車の乗り継ぎがうまくいかなくて、遅くなってしまっただけかもしれない。いろいろな、背景があるはずです。

しかしお母さんは、娘さんが返ってくる18時に合わせて食事を準備していたり、駅までの迎えの連絡を今か今かと待っていたりして「事がスムーズに進まない」という不安で、怒っているだけであることもよくあります。親の言いつけを守らないことに対して怒っていることも、あるかもしれません。

確かにやきもきしたり、娘さんの身の危険を感じる瞬間はあるかもしれない。でも、本当に娘さんの身の危険を心配していたのなら、門限を過ぎても娘さんが返ってきたときには「あぁ、よかった」という感情が湧くはずなんですよね。

自分は本当に相手を想って行動しているか、それとも自分の不安に耐えきれず行動をしているのか。

これを線引きするのはとても難しいことなのかもしれません。でも、意識し続けていれば選別がしやすくなるものです。

心配でも「放っておく」「そっとしておく」というのはとても難しい

どんな人間関係でも、多少の放任主義はとても重要なもの。

しかし、特定の問題が起こったとき、ハプニングが起こったときに、どうしても人のことを「放っておけない」人は多いものです。

放っておけないのには、かならず理由があります。

自分が誰かに関わることで自分の価値を見出したいからであったり、相手を自分の思うようにコントロールしたいからであったり。相手のことを「自分がいないとダメな人間」と思い込んで、用もなく、意味もなく関わろうとしたり。

関係性が近ければ近いほど、人は相手に自分の不安を投影してしまうものです。適度な放任は、とても大事なことですが、ときに「薄情」「冷たい」などという印象を感じる人もいるでしょう。

しかし、自分の不安と、本当の心配を分けて言動できる人はとても少ないので、世間は黙って見守っているだけの人を「冷たい」と批判してしまうことがあります。でも、実際は黙って見守ったり、騒ぎ立てない人方が本当に相手のことを想っている場合もあるのです。

自分なりに「どうするのが、相手にとって最善なのか」「相手は何を求めているか」を、真剣に考える時間こそが本当の善意なのではないかと思います。

今ここにある心配と、本当の愛情を一度立ち止まって考えてみる

頼まれてもいないのに、積極的に手を貸したり何かを請け負ったりするのは、相手を苦しめることがあります。

心配だからと言って、相手の行動を制限したり批判したり、監視したりすることは、相手を洗脳することになります。

心配だからと言って、絶え間なく励ましたり、声をかけたりするのは、相手を追い詰めることがあります。

「心配だから」「あなたの為に」というのは一見すると善意なんです。善意だからこそ、相手はそれを拒否したり、無視したりすることができません。無下にできないせいで、相手は無理してそれを受け入れたり、付き合ってくれていたりします。

自分の不安を鎮めたいだけの行為に、相手は振り回されたり、洗脳されたりしているんです。

心配という「善意の仮面」をかぶった自己愛を、ぶつけているだけなんてこともあります。

「大事なんだから、心配するのは当たり前でしょう」

「あなたの将来が心配なんだから」

「心配だから、マメに連絡してほしい」

それは「私を安心させてほしい」という要求である可能性を大いに含んでいると、私は思っています。自分が介入しなくても、きっと自分なりの道順や時を経て、うまくやるだろうと信じることも愛情です。

頭ではわかっていても、実際できていない。無意識に心配から余計なことをしてしまう……なんてこともあります。わかってはいるけど、気になってしまう、縛ってしまう、怒ってしまうこともあるでしょう。

もちろん完璧きっちり分別をつける必要なんてありませんし、それができるのは悟りを開いた人くらいなものです。

でも、自分の中に当たり前のようにある「心配」という感覚は、実は自分の欲求や不安であることも少なくありませんし、その可能性の方が高いかもしれない。

その事実をしっかり知っておくだけでも、大きな違いがあると考えています。/夏野新

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