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友達や仲間が欲しいけどいらない?複雑な気持ちと葛藤している時はどうすればいいのか

友達や仲間が欲しいけどいらない?複雑な気持ちと葛藤している時はどうすればいいのか

はじめまして、Risaoと申します。
私はここ最近人間関係に疲れてずーーっとひとりぼっちなのです。
それで友達が欲しいな、と思うようになったのですが
自分でも気づかずに相手を傷つけてしまい離れてしまうかも知れない、とか
この人にはリセット癖があって自分もいつか断捨離されてしまうかも知れない、(なら優しくするだけ無駄だろうと考えてしまったり)
色々と考えてしまい結局何も変わらないままです
でも浅い関係で構わないから仲間が欲しいとどこかで思ってしまい
この葛藤がずっと続いています
この同じ悩みを抱えている人のためにも記事にしてくれたら幸いです
では失礼いたします。

こんにちは。kandouya編集部です。今回、このようなメッセージを読者さんからいただきましたので、記事にしてみたいと思います。投稿者のRisaoさん、数あるメディアの中からkandouyaへメッセージをいただきありがとうございます。

人間関係には疲れるけど、ずっと1人は正直さみしい。

人間関係は、本当に疲れますよね。人生において最も悩みが多く、最大の課題と言っても過言ではありません。もちろん誰とも関わらないわけにはいきませんし、しんどくて辛くて1人でいようと決めても、やっぱり孤独感に襲われてしまうこともあります。この気持ち、見て見ぬふりはできない思いです。

今回Risaoさんの投稿から見えるのは、まず、「人間関係に疲れてひとりぼっちなのです」というところと、「友達がほしいなと思いました」というところにある、複雑な心境ですよね。

1人はつらいけれど人間関係には疲れてしまう。という部分がネックになっています。きっとRisaoさんと同じような気持ちでモヤモヤしつつも1人でいる人は他にもいるのではないかと筆者も思います。

こんな時、友達を作れば解決するの?

こういう心境の時は、ひとまず「1人ぼっちが寂しくなってきたし、友達をつくればいいのかな」という視点から離れてみることをおすすめします。というのは、友達を作るだけ、ということはできますよね(深い付き合い、浅い付き合いに関係なく)。でも、その前にある「人間関係に疲れてしまう」という問題をひも解いてみる必要があるからです。

今、とりあえず浅い付き合いでもいいからと、それなりの友人を作っても、このように葛藤するタイプの人はきっとまた色々考えたり感じ取ったりして疲れてしまう可能性が高いんですね。根本的な原因や、人付き合いに関してのつまづきやすいポイントを、まず自分でつかんでじっくりと見てみる、という作業が大事かなと考えます。

なぜ「人間関係に疲れるか」を洗い出してみる

人間不信ぎみになっていない?

人間不信でもそうじゃなくても、人間関係にはストレスがつきものですが、そもそもあまり人を信じることができないとか、怖いといったトラウマがあるとより一層疲れやすい原因になります。過去に何か大きなトラブルがあった、幼少期から嫌な出来事があった、ということもあるでしょう。

人と人との関係の中で、自分自身の心がどのくらい開いているのか?というポイントはとっても大事なところ。トラウマ的なものが心にしこりとして残っているのなら、まずはそちらから焦らずに癒していく事の方が、「友達を作るかどうか」より何倍も大事になってくるのではないでしょうか。

ここに当てはまるのなら、今できる一番効果の期待できる癒し方法は、とにかくありのままの気持ちを吐き出して吐き出して吐き出しまくることです。そうできる人がいないのなら、またメッセージください。

キャパ超えてない…?友達に疲れる人は狭く深くができてないかも

人との距離感の不器用さ

どんな人間関係もそうですが、友達や仲間といった関係にしても、疲れることが多いのは、他人との境界線の引き方に不器用さがあったりします。また、色々と相手の事や自分のことを考えすぎてグルグル思考になってしまう、繊細な気質(HSP)の人もとても疲れやすいです。でも、こうした自己理解(自分はどんな失敗パターンがあるだろう?どんな受け取り方をしているんだろう?)を深めることで、人間関係のあなたなりの楽な作り方を徐々に掴んでいくことができます。

※参考記事も貼っておきますね。↓

自他の境界って何?境界が曖昧だとどんな関係もうまくいかない

【自分の問題】自他の境界線を引く方法とは?【相手の問題】

「友達」というものの「捉え方」に変化を与えてみる

「○○であるべきだ」というべき思考を減らす

「友達はお互いに腹を割ってなんでも話すべきだ」「友達は気遣いをし合い、困っていたら助けてあげるものだ」「嘘をついてはいけない」など、友達という関係に対してのルールのようなものを自分に課していませんか?

これは友達に関わらずどのような人付き合いにも言えるのですが、疲れるとわかっていても、すごくまじめだったり相手に対しても自分自身にも真剣に人と付き合う人ほど、疲労がたまりやすい傾向にあります。

たとえば自分が話や愚痴を聞いてもらったとして、だったら自分も必ず何か返さなくてはいけないのでは?とプレッシャーになったり、「大事にしなくちゃ、優しくしなくちゃ、嫌われない行動をしなくちゃ」と頑張り過ぎてしまうのです。ここまでではなくても、○○すべきである、という「べき思考」はやめて、無理なことは無理、嫌なことは嫌だと言っていいと自分に許可を出してあげる必要があります。

べき思考をやめると、心がスッと楽になる。「ありたい」と「すべき」をわける考え方

離れるなら、優しくする意味はない?

投稿者のRisaoさんが書いてくれたように、友達ができても、離れてしまうなら(相手にリセット癖があるなど)優しくする意味はないのかなと思う人もいるでしょう。確かに、せっかく関係を築いていても、何かの拍子に壊れてしまうのなら最初から、相手に対する思いやりも優しさも無意味……と感じるかもしれません。

しかし、こうも考えることができます。

人生では、人と人が出会って別れることは避けて通れません。いくら自分が「ずっと一緒」と願っても、そばにいた人が離れる事や、関係が終わることは必ずあります。それが何のキッカケであるかは、誰にも予想ができないのです。もう嫌になるくらい、そんなことの連続なんですね。筆者もそうです。

友達関係の終わりも、どのようにそうなるかはわかりませんが、相手にとっても自分にとっても「裏切られた」「嫌われた」という理由でないことが望ましいですよね。仮に悲しい終わり方をしたとしても、その時作られた思い出や、相手に優しくしたり大事にしたことそのものは消えることはありません。

最終的には相手が離れていったとしても、すべてがなかったことになるわけではなく、長い年月が過ぎても優しくしてくれた友達のことはずっと心に刻まれています。リセット癖がある人でも、いつかもっと時間が過ぎて内面が成熟したとき、必ず後悔したり、「あの人は、優しいひとだったな」と実感するはずですよ。なので、あなたが誰かに与えた優しさは必ずあなたに返ってきますし、無駄になることなんてないと私は思います。

うまくパワーバランスを取っていく

とても仲のいい人ができると、相手と自分とのパワーバランスがおかしくなることってありませんか?分かりやすく言うと、「この子の頼みは断れない」とか「有無を言えない雰囲気があってなんでも同調してしまう」とか。逆もあるのですが、どちらか一方が気を遣い過ぎという状態にならないようにしなければなりません。

よくある「カースト」みたいなもので、仲間うちでも目立つ存在や人気者にはなんとなく逆らえない、というような暗黙の了解にも似ています。

「直感」みたいなものもあって、感覚の話にはなるのですが、「ああ、最近この人に押され気味だな」とか「なんとなく関係が停滞しているな」と感じることもあると思います。友達と言っても飽きたり、楽しめないなと感じる「時期」もあるからです。その時、あまり難しく考えすぎずに、パワーバランスが平等でなくなってきたら、少しの間距離を置き、また仲良くすればいいのです。

こういう「友達あるある」的なものを、否定しないで、「それがむしろ当たり前」と考えると楽になるし、むしろそれが事実なので、常に良好な関係を維持することが大事だと決めなくても全然大丈夫なのです。

結果的に「傷つけてしまう」ことがあってもいい

誰も相手を傷つけようと思って傷つけたりはしませんよね。自分ではそんなつもりはなくても、相手の受け取り方や感じ方によっては反感を買ったり、誤解されたり、傷ついた!と言われることも多いです。逆に相手に悪気がなくてもあなたが傷ついてしまう事だってあると思います。

ですが恋も友情も、ずっと何も起こらないまま、ただただ平穏なんて絶対に不可能だと私は考えています。好きだからこそ衝突したり、ケンカしたり、誤解してぶつかることもたくさんあります。でもそれでいいのです。そこで離れる関係はそこまで。気まずい出来事や嫌なことがあっても、本当に縁のある相手ならば、理解しようとする心があるはずです。たった1回や2回のすれ違いであなたのことを決めつけ、すぐに離れる友達は、正直いらないと思います。それに、そういう人は、遅かれ早かれ離れていく人。

自分でも気づかずに相手を傷つけてしまい離れてしまうかも知れない」と書いてくれていましたね。これは、傷つけてしまうかもしれないけど完璧な人などいないし、離れてしまうとしてもその人だけに固執しなくても、何度でも友達はできるので自分をはなから責める様なことはしないでほしいなと、感じました。でも怖いんですよね。分かります。

「友達」というのは単なる”呼び名”

よくkandouyaでは、友達という枠組みは単なる呼び名で、そこにこだわる必要はないという考えを記事にしています。確かに、1人がさみしくなってきたなと思うと、友達がいたほうがやっぱり楽しいのかもと考えることはありますよね。ですが、いわゆる「うわべのオトモダチ」をいくら作ったところで、あなたが結局のところ気を遣い、頭を使い、神経を使い、疲れてしまっていては意味がありません。

ですので、友達だとか親友だとか、そういった枠組みはあまり気にせず、Risaoさんが話していて気が楽だ、直感的に好きだと思える人だけ、ゆっくりと付き合っていけばいいのではないでしょうか。友達だからと言って、なんでも許す必要もないし、「優しくしてあげるべきだ」と身構えることもないと思います。

もちろん、同じ気持ちを共有できる人がほしいのであれば、私たちkandouyaの人間はもうあなたと友達と呼べると思います。だって、気持ちがわかるから。(笑)

もしも何か吐き出したいことができて、友達を作ろうというところまで気持ちがいかないのであれば、また編集部あてにメッセージをいただければと思います。仲間といいますか、同士として私たちもここにいることを、忘れないでくださいね。今回はありがとうございました!/kandouya編集部

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