
「そこに温度がある人たち。」Part3の第7回目は、ライター(語り手、言葉屋など・・)の目頭あつこさんをご紹介していきたい。
目頭あつこさんの趣味は書道、アクセサリー作り、ハーブ、美文字など多岐に渡る。プロフィールを読むだけで多彩な人柄が伝わってくる。そしてなんといっても目を引くのは「日記継続15年以上」という執筆の継続年数だ。それはもう十分に文章のプロである。
私はドキドキしながら、物書きの大先輩である目頭あつこさんが綴る一文字一文字を目で追った。これから紹介する彼女のnoteは、エッセイに少しのフィクションという蜂蜜をかけたような小説なのだろうと私は解釈する。きっとこの小説の「わたし」は目頭あつこさんなのだ。
「月夜のスキップはピチカートのように(小説)」https://note.com/110107/n/n0ce3c82ce741
家を継ぐ相手と結婚をする
冒頭から一気に私は目頭あつこさんの世界へ引き込まれた。自分と重ねて唸ったのだ。彼女の文章を読んだ誰しもが、彼女の言葉に自分の人生を重ねざるを得ないと断言したい。彼女の綴る「愛」は人に寄り添うのである。
彼女の歩んだ人生が、私と全く対極にあるとは思えなかった。
「【家】を、継がなくては」
わたしの家には家業があり、それをなんとかしなければならなかった。こんな言い方は時代錯誤だとよく分かってはいるけれど、家業を一緒に継いでくれる人に、自分を選んでもらわなければならなかった。わたしは、家を継いでくれる人と結婚する必要があったのだ。
月夜のスキップはピチカートのように(小説)https://note.com/110107/n/n0ce3c82ce741
目頭あつこさんとは、真逆の枷に私もながらく縛られていた。私にはもう、継ぐ家はないのだ。22歳で実家を出て上京する際に、手放しに私を受け入れて、いつも100点の評価をくれる家との絆を失ったと思った。
母から衝撃的な餞別の言葉をもらって、泣きながら東京行きの飛行機に乗った思い出がある。もう何年も前になるが、あのとき感じた孤独と不安は人生最大だったかもしれない。
「あなたはもう、家を出た人よ。私たちの代でお墓もお寺に返します。今後、お父さんとお母さんになにかあったとしても全て事後報告です。ソラは自由に生きなさい。」
足元がぐらついたような気がした。これから私は遠い街でたった一人で生き抜いていくんだと、これが大人の自立なんだ、私はもう大人で子どもに戻れないと泣きじゃくったのだ。
「あつこさん」と、名前に驚いた。
私の母と名前が同じなのだ。
私の母も愛嬌のかたまりのような人で、目頭あつこさん同様、恋多き女性である。
“「もし告白されていたら、付き合ったんですか?」”と、言葉を投げかけられた際のあつこさんの逡巡は、愛の深淵を真正面から覗く凛とした強さと美しさがあった。下記がその引用である。
わたしは黙ってしまった。ずいぶん長い間、考え込んでいた。
その沈黙の中に、わたしの卑怯ともいうべき性(さが)の不変的な本質を、見た気がしたのだ。もし気持ちが彼に向いていないとしたら、ただ、それは誰かを惨めにすることで、自分の惨めさを誤魔化そうとしただけなのではないか? 言ってくれなきゃ、と言いながら彼の報われない恋を、白日の下にさらす勇気も、きちんと返事をする覚悟も、その恋を終わらせる自信も、わたしにはないのだった。
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恋も、愛も、結婚も、家族の形でさえ私もよくわからない。その相手に費やしたお金や時間なのだろうか。愛情の授受が行われているのが分かるメモリのついた愛情タンクが頭の上にあればいいのに。そうすればどんなに偏った愛情でも「おあいこね」と、慰めあえるのに。
目頭あつこさんの「愛」の吐露は下記の引用につづく。
実はそうやって自分を正当化しようとしていただけなのかもしれない。わたしは、誰からも真剣に相手にされていないことにして、誰とも向き合わず、一人ぼっちで追放されたかのように、思う存分自己憐憫に浸りたいだけなのかもしれなかった。
誰も加害者にはなりたくない。人生において、すすんで悪役になりたい人などいないだろう。
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自分の正当化には気が付きにくい。お互いに散々相手を傷つけたとき、もし気が付けば幸運だというようなものだ。人は社会で他人と共存する限り、どこまでも被害者であり、加害者なのだ。
「それなりの理由」や「仕方がない」でごまかすのは自分自身ではない。相手が自分へ向けた思いやりや愛情から生み出される「私」が許された状況なのだ。
相手からの無償の思いやりを「愛」と定義した場合、どれだけの「愛量」を得られたかで人の価値は決まるのだろうか。結婚を経て「これであなたは勝ち組だ」と世間から一目置かれたとして、それは何と競争をして何で優れたからなのだろうか。
既婚者を勝ち組とすると、私は「負け組」で目頭あつこさんは「勝ち組」である。
結婚したら「勝ち組」ってどういう意味?
大人の深層心理はとても複雑だ。子どものころは大人がこんなにも毎日悩み、考えながら必死に生きているとは思わなかった。
目頭あつこさんは自分が分類された「勝ち組」を考えたとき、彼女はどんどん自分の深層心理へと潜り込み、自分と対話を始めるのだ。
実際、勝ち組なんてあるのだろうか。
屈託なく、自然に好意を受け入れられたならば、それでいて、愛されることに謙虚でいられたならば、もう少し何かが変わっていたのだろうか。
人が「信じてくれ」と言った時は、実は「信じるな」ということなのではと疑い、「好きだ」と言われたらそのまま逃げたくなってしまうような、そんな人間だったから、わたしは。人知れず愛に恐れを抱き、その恐れを「傲慢である」と認識していながらもそれを拭い去れず、捨てきれず、しかしあきらめもつけられず、ただあがくことをやめない、そんな人間だったから、わたしは。
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愛情の扱い方が不器用で天邪鬼な加害者になろうとも、人は生きるために「なにか」を求めるよう設計されているようだ。
「人は寂しい生き物である」
私はこの事実をどうしても覆せず、今も藻掻き苦しんでいる。
「わたし、そんなに物欲しそうな顔をしていますか?」
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目頭あつこさんのこの言葉が刺さって昨夜からちっとも抜けない。
「あなたは寂しい人ね」と、人はきっと相手を傷つけるために言うのだ。必要とされる他者が羨ましくて選ばれない自分が惨めで、その気持ちを吐き出さないと耐えられないのだ。
そんなあなたも「寂しい人」なのに。
「サムシングブルーにちなんだカクテルです。おめでとうございます。どうぞお幸せに」。
窓の外では夜景がイルミネーションに彩られている。夜景をバックに見るグラスは、夢のように淡い水色をしていた。
ティファニーブルー色のお酒は甘くてスカッとして、そして儚い。喉に入るとそのまま消えてなくなった。
「これが新婚の味か」と思った。
嬉しさが泉のように、胸の中に湧き出てきて、わたしを満たす。
月夜のスキップはピチカートのように(小説)https://note.com/110107/n/n0ce3c82ce741
「新婚の味」がするカクテルを私も思わず想像した。
「勝ち組」で片づけられるような、誰かと競争したり比べるものではないのだけははっきりとわかる。儚くも人を火傷させる強さがある蝋燭の火に似ていると思った。
蝋燭の火は気をつけないと簡単に消えてしまう。それでも、とても熱く、熱く、人を温めて照らしてくれるのだ。
私はあくまで想像しかできないけれど「結婚」という契約を少し許せそうな気がした。
愛って怖い。でも欲しい
「愛」について私はちっとも分からないことばかりだ。私が全身全霊で愛情を注いで良い対象は愛犬のみであり、裏切らないのも愛犬のみだと、今もずっと人に対して逃げ腰なのだ。
感情は複雑であり、ほんの少しの刺激でいとも簡単に変わってしまう。私を含め、人間の気持ちは流動的で一体なにがホンモノなのか。私は怖くてたまらないのだ。
これが全てだと思っても、本当は見えているものの方が少なくて、世界は色々で溢れている。「愛」しかり、目頭あつこさんの言葉にすがって、私はほんの少し勇気を出せそうだ。
目頭あつこprofile:目頭を熱くしたりしなかったり。趣味は書道、アクセサリー作り、ハーブ、美文字。エッセイ、詩、スタエフなど。シーラカンスばりのアナログ人間。一人で大騒ぎ。ノリのいい根暗。 音声配信 https://stand.fm/channels/5fbff6d2c64654659088271e
/ソラ