
「そこに、温度がある人たち。」第十四回は、雪柳あうこさんのnoteに書かれた詩から、森花が勝手に好きなものを選び、勝手に想像をふくらませ、勝手に解釈してご紹介したい。
「詩に答えはない」と信じて。
雪柳あうこさんの詩には、生命と生きることの強さ儚さが凝縮している
「雪柳」https://note.com/aukoyy/n/n11a2503a0c88?magazine_key=m424c93132417
たわわに咲いた雪柳の
花房の根元に
幼い日のわたしがいる小さな手で
花房を握りしめたまま
先へと沿って引っ張るとぶちぶちと小さな音を立てて
https://note.com/aukoyy/n/n11a2503a0c88?magazine_key=m424c93132417「雪柳」
命が千切れる
掌に、あふれる緑と白
なぜ名前が「雪柳」さんというのか、最初から気になっていた。この詩に、その思いが込められていた。
無邪気な少女、その手ひとつでこぼれてゆく雪柳の命。それでも命は美しい。いつ失うかはわからなくても。雪柳あうこさんの詩は、人の幼少時代の無邪気さと命の儚さ、その儚いなりに輝くことの美しさを、コントラストで表現している。愚かさがあるから聡明さが浮き彫りになり、陰があるから太陽がまぶしく思えるように、対比した世界観をたった数行に凝縮する。そこに邪念はなく、詩とは究極の引き算だということを感じさせる。
雪柳さんが受賞した詩「死の意思」もまさに、生と死をコントラストで見せることによって、生きることの尊さと死ぬことの儚さをあらわしている。

「花と花と花」https://note.com/aukoyy/n/n2839de3e41e1?magazine_key=m424c93132417
線路沿いの薔薇の花は
少し、干からびている苛烈な夏のせいだけでなく
線路沿いの花は大抵みんな
少し、干からびているよう遠目にはみずみずしく
https://note.com/aukoyy/n/n2839de3e41e1?magazine_key=m424c93132417「花と花と花」
見えていたとしても
遠目にはみずみずしく見えている花が、本当は今にも枯れそうになりながら咲いていることに気付くのは、そこに近づいた人だけだ。「本当はどうなのか」を知ろうとした人だけだ。それは人間とよく似ている。
「真実を見ていますか」と訴えかけられているように思えた。
そして、枯れそうな花の生命力は、わずかな養分からもまだ生きようとする「強い意思」。みずみずしく見える人だけが、輝いているのではない。今にも壊れそうになりながらでも、咲き続ける人がいる。そんな社会を表現しているとまで思ってしまった私は、この時点で「雪柳ワールド」に入っちゃっているよね。
あともう一つ、「花テロ」という言葉を初めて知りました。
飯テロの次は花テロだ。なんかいい響きだ。

「ふゆ」https://note.com/aukoyy/n/nb26080941840?magazine_key=m424c93132417
もしも、あなたのくらすまちまで
わたしのかけらがたどりついたら、
そっと、ひろいあげてくれますか?そして、ほんだなのおくにねむる
ことさらぶあついほんのページに
そっと、はさんでくれませんかほわほわとした、ふゆのすすきを
https://note.com/aukoyy/n/nb26080941840?magazine_key=m424c93132417「ふゆ」
うすあおぞらにとじこめるように。
なぜこの詩が「ひらがな」で書かれているか、すぐにわかった。「ほわほわ」としたやわらかい命を、漢字におこすことができなかったんだなって。ここにも雪柳さんの感性が光る。
文字が与えるエネルギーや印象までも意識して書かれていることには、本当に凄いなと。
風に乗せて命を繋いでいくなんて、人間には想像もできない世界。でも確かにここにあるのだ。季節の終わりに、どこかからすすきの「ほわほわ」が飛んでこないかな。
飛んでいる事さえも気づかないのかもしれないな。
できるなら私は、気付ける人で、ありたいな。
雪柳あうこの世界に、あなたも溺れてみては? とても素敵でした。
雪柳あうこさんのnoteはこちら→https://note.com/aukoyy
雪柳あうこprofile:小説や詩・ことばなどをのんびりとつとつと紡いでいます。小説も詩も受賞したりぽつぽつ入選したり掲載されたり。2020年は第五回永瀬清子現代詩賞、第29回詩と思想新人賞を受賞しました。ご連絡はプロフィールのメールアドレスまで。ノベルメディア文活、詩誌OUTSIDER に参加中。
kandouya編集部/森花