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【episode20】「そこに温度がある人たち」という言葉が最高に似合う3人のnoteをご紹介。

1月の「そこに、温度がある人たち。」最終回【episode20】は、kandouya編集長的、いま最も温度がある3人をご紹介したい。

1「ナカムラマイト」

2「みくりや佐代子」

3「サトウリョウタ」

だ。

一番好きな食べ物は最初に食べるタイプですか?

私は最後のご褒美としてとっておくタイプだ。

【そこ温】1:虐待どっとネット代表「ナカムラマイト」

ナカムラマイトさん/虐待どっとネット代表

「あの日の僕を僕は救えているかな」https://note.com/maito/n/n30b5d39f5127

そしてね、心と心が近くなるとね、やっぱり出てきちゃうんですよ。

「どうせ僕に関わるのは仕事なんやろう?」
って気持ちが。

「あなたには家に帰れば家族がいるんでしょう」
「こんなに優しくされても本当に辛い時には頼れない」
「結局ひとりぼっちなんだ私は」

こんなような気持ちが芽生えたんだよな。

人ってさ、中途半端につながりがあるよりも、孤独の方が強いんだよ。
変に頼れる人がいると弱くなっちゃう。
助けてくれるかもなんて思うと、もうだめ。笑

https://note.com/maito/n/n30b5d39f5127「あの日の僕を僕は救えているかな」

kandouyaは、「虐待どっとネット」を応援している。代表のナカムラマイトさんは虐待を受けた当事者として、誰かのために力になりたいと活動を行っている。私はこの記事をもう早い段階で読んでいたのだけど、あまりにも気持ちがリンクしてしまい、どう紹介するかとても考えたし悩んだ。

「ナカムラマイト」の持つ温度とは、暑苦しいものでもちょっとぬるいわけでもなく、転んでけがをしたときに手をそこにそっと当ててもらうような「人肌」の温度なんだと思う。

当事者だからこそ知っているのだ。求めている温度が、そのぬくもりであるということ。

虐待を受けると、傷は相当深く大人になってもなお、苦しむ。私もずっとそうだったから本当にわかるんだよね。私も幼少期は毎日毎日「死ね」と言われて育ち、ひどい暴力に耐えた経験があるからだ。

人ってさ、中途半端につながりがあるよりも、孤独の方が強いんだよ。
変に頼れる人がいると弱くなっちゃう。
助けてくれるかもなんて思うと、もうだめ。笑

特にこの部分、本当に同じだと思った。「なぜ人に甘えないの」「なぜ孤独を選ぶの」と言われてきたけれど、孤独の方が強いんだよ。私もずっと思って生きてきた。

でも「わかるよ。孤独の方が、強くいられるんだよね。」なんて、言ってくれる人はいなかったし、本当の意味でそうそういないとも思っている。そんな言葉だけだって、救われる人がいることを伝えたい。

「ビンボン」画像引用:https://note.com/maito/n/n30b5d39f5127

もちろんこれは僕がこうして欲しかったというだけの気持ちなのでこれが正解ではないということも理解している。
けど、自分と同じような気持ちを抱えて苦しんでいる子や若者がいたならば、僕はちょこんっと隣に座りたい。
ずっと僕の隣にいてくれた、ビンボンみたいに。

https://note.com/maito/n/n30b5d39f5127「あの日の僕を僕は救えているかな」

まだナカムラさん自身も傷は癒えておらず、必要に応じて対応している。根深い問題なだけに、それを「不安定な人が助けられるのか」と感じる人もいるかもしれない。

ではなぜ、ナカムラさんはありのままの自分を伝えているのか。活動するだけなら、「もう立ち直りました」と嘘をつけばいいと思うし「乗り越えた人」という立ち位置に自分を置いていればいい。

でもそれをしないのは、彼が一番「人の裏側を見てしまうこと」のしんどさを知っているからだと思うんだ。偽りの自分でいたって、本当に傷ついた人の心には何も届かない。それに、「どれほど傷が根を張っているか」ということも、リアルに伝えられないと思う。

必ず、完璧に乗り越えてから何か活動を始めなくちゃならないなんて、誰にも決めることはできない。

同じ目線で、となりに寄り添って、必要ならばお互いに傷を癒して、また会おうよ。って、そんなお兄ちゃんみたいな代表がいてもいいじゃないですか。「ビンボンみたいにちょこんと隣に座りたい」というナカムラさんの思いは、誰かの光になる。だからkandouya編集部は、虐待どっとネットを応援していきます。

ナカムラマイトprofile:〜やさしい世界をつくる〜虐待どっとネット代表@GyakutaiN 虐待を受けた子どものAYA世代(思春期若年世代)の支援環境の構築をテーマに掲げて活動しています。インターン募集中。シャインマスカット農家さんと甘平農家さんなどと繋がりたいです。お問い合わせはinfo@gyakutai.net まで

【そこ温】2:みくりや佐代子

みくりや佐代子さん/「あの子は「かわいい」をむしゃむしゃ食べる」著者

【私は育児ブログが書けない】https://note.com/ahs345/n/n200ac2585c12

「今日、そうちゃん、歩きましたよ!」

ある日、週末に持ち帰る布団を担いだ時に、そう興奮して言われたのを覚えている。
はっとした。初めて自分の足で世界に一歩踏み出したその姿さえ、私は見ていないのだと。

母親失格かもしれない。「かもしれない」と付けることで、自分を守った。

https://note.com/ahs345/n/n200ac2585c12【私は育児ブログが書けない】

「私は育児ブログが書けない」というみくりやさんのnote。これも読んだのはわりと前。そのとき、外で働きながら子供を育てていた時代の私と影が重なって涙がぼとぼとと出た。思わずみくりやさんに記事もまだ書いていないのに感想を送りつける始末。笑 

もちろん同じ境遇ではないし、全く同じことを思ったということでもないんだけど、働く母親の全体像として、みくりやさんが書いてくれた言葉が「つらくてパンクしそうでも言えない本音」であるのではないか、と思ったんだ。

「理想の母親像」が徐々に崩れ始めている今でも、やっぱり根強く残る”いいお母さん”という形。「寂しい思いをさせているのではないか」「自分は母失格かもしれない」と罪悪感を抱きながら、それでも時計とにらめっこしてすぎて行く毎日。

子供も精一杯で、お母さんも精一杯で。でも家族はそこにあって。

善も悪もそこにはなく、「母親の定義」なんてないはずなのに、なかなか自分を許せないんだ。

みくりやさんは「いいんだよ。こうして怖くても向き合える。「お母さんの自分」が完全体じゃなくても許そうよ、そして子供を自分なりに愛していこうよ」とメッセージを届けてくれたように思える。

書いてくれて「ありがとうございます」と、伝えたいなって思う。自分と向き合うその強さも、許せなかった弱さも全部ひっくるめて、「そこに温度がある人」と言いたい気持ちでいっぱいだ。

みくりや佐代子profile:noteをきっかけに出版しました。「母親らしく」を諦めた二児の母。【著書】あの子は「かわいい」をむしゃむしゃ食べる https://www.amazon.co.jp/dp/429530395Xもうすぐ新刊出ます。

【そこ温】3:サトウリョウタ

サトウリョウタさん/ライター

私は「そこ温」を企画したとき、「この人はラストにしたい」とはなから決めていた。「文章で生きろ」という十字架を背負っているようなこのお方。SNSを通じて見かけた時から、もうマークしてたんだよね。(言い方

紹介したいnoteがありすぎて、もうやめようかと思ったぐらいだし、もう「やめて~!それ以上書かないで~」とさえ思った。毎日増えてくからね。

「素敵です」とか「素晴らしいです」とか「エモいです」とか。なんか全部当てはまらないんだよ、言葉が見つからない。「サトウリョウタ」という人物が、ただそこにいる。

画像引用:https://note.com/ryota007/n/ndc57812e8f42

「他人のためにしか頑張れない」https://note.com/ryota007/n/ndc57812e8f42

じぶんのために頑張れないのであれば、もう諦めてもいいのではないだろうか。誰かのために頑張るも立派な動機だと思う。いや、じぶんを守りたいだけかもしれない。それでもいい。自己防衛万歳だよ。じぶんを正当化する理由は、じぶんで勝手に作る。じぶんが納得できる答えが出たのであれば、そいつを盲目的に信じたらいい。

https://note.com/ryota007/n/ndc57812e8f42「他人のためにしか頑張れない」

「他人のためにしか頑張れない」という気持ち、私にもよくわかる。自分のために生きて、自分のために働いて、自分のために食事を用意して、明日もまた自分だけのために頑張る…ということが私もできない。

「目的意識があるから頑張れる」とも言えるかもしれない。

誰かが笑ってくれるなら、誰かが喜んでくれるなら、頑張ろうかな。そんな生き方、今はやりの風の時代には似合わないかもね。でも、そういう人もいたっていい。たとえ自己防衛だったとしても。

「世界から言葉がひとつ消えたなら」https://note.com/ryota007/n/n2039b5caf38b

もし、どの言葉を消したいか尋ねられた場合、僕は迷わずに「永遠」という言葉を消すだろう。「永遠」は、いいように使われる場合もある。でも、悪い場合に、使われた場合の影響力は凄まじい。そして、自分程度では「永遠」という言葉の凄まじさは、とうてい言語化できないのが悔しいところだ。

https://note.com/ryota007/n/n2039b5caf38b「世界から言葉がひとつ消えたなら」

このnoteを読んで、ものすごく考えた。「言葉がひとつ消えたなら」と思いめぐらせるくらい、彼は言葉の世界の奥深くにいるのだ。当然のようにその世界にいて、言葉と共存して、言葉と戦っている戦士のようにも見える。

あなたは言葉の持つその計り知れない重さを、本気で両脇に抱えたことはありますか。

そんな問いかけにも似た、強い「温度」にやけどしそうになって慌てて冷やした。

「たまには正論に負けてもいい」https://note.com/ryota007/n/n9acc32448661

じぶんに自信がないわけではないが、ぼくはじぶんに自信がない。なに言ってんだってお話なんだけど、じぶんでもなにを言っているのかがよくわからない。仕事では褒めてもらえる回数が増えた。だからじぶんの仕事に関しては自信を持っていいのであろう。いや、自信を持たなくてはならない。じゃないとじぶんを褒めてくれた人に失礼だ。

https://note.com/ryota007/n/n9acc32448661「たまには正論に負けてもいい」

サトウリョウタさんの書く言葉では、ショートストーリーもあるけれど、私は己と向き合って己の深層に入っていくような記事がとても魅力的に思える。作られた物語の中にも必ず書き手の経験は宿るだろう。でも、やはり「たまには正論に負けてもいい」のような記事に胸を掴まれる。

あえて突き抜け切らない絶妙な位置で、静かに、確実に、世の中を見ている、それがサトウリョウタだ。

サトウリョウタprofile:ライター/PR/広報 ▼大阪出身▼会社員→バー運営→フリーランス▼エッセイ、取材、恋愛、SEO系の記事が得意です。▼音楽と植物鑑賞、読書、妄想が趣味▼カフェ紹介bot▼note毎日更新(550日突破)▼ミスチルが好きですinstagram.com/strt358/

最後に

私は「そこに、温度がある人たち。」を通して、様々な人たちの心の奥をのぞき込み、心の部屋に入らせてもらった気持ちだ。「言葉にはその人の人格が宿り、隠しても隠し切れないものがある」ということに確信めいたものを感じる。

情動が起こり、自分について考えさせられ、「この人はどんな人なんだろう」と目を赤くして覗き込んだ。この時間が、自分の感性を成長させてくれました。1月の参加者のみなさま、本当にありがとうございました。

kandouya編集部/森花

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