
「そこに、温度がある人たち。」2月の第二回は、フリーライターの充紀さんとnoteをご紹介したい。
まず私が思う充紀さんの印象というのは、「なんかスマート」「なんかブレない」「なんか憎めない」の「理由はないけどなんか好き」の3拍子が揃っている人である。な~んでこんないい感じな雰囲気になるんだろうね。
スッとしてるんだけど威圧感がなく、柔らかいんだけど「ふにゃあ」とはしていない、というね。ちょっと仕事が溜まったり数をこなして疲れている日でもきっと姿勢がいいのだろうなと思わせる彼なのだ。(想像
さくまドロップに例えると、時々入っているあの白い「ハッカ飴」って感じ。いいよね君の清涼感、みたいなさ。
肩の力がいい感じに抜けた「充紀」の言葉とは…

Blaz写真Unsplash
「スマホを持ち歩くのをやめてみる。あるいは、主体性についての話」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n8afc24c61efc
とは言っても別に何か特別なことをするわけでもなくて、手を合わせて食事を頂き、よく噛んで食べる。ただ、それだけです。
大事なのは、今自分にとって必要なこととか、本当にやるべきこととか、そういうことを自分の頭で考える時間です。
「スマホを持ち歩くのをやめてみる。あるいは、主体性についての話」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n8afc24c61efc
このnoteを読んで思ったことがある。充紀さんは、たぶん時代が「令和」からなにか違うものにまた変わったとしても、「その時代、時代に点在している良きもの」を忘れない人なのだろうなと。
移り変わりを受け入れ、変化していくことも人間は大事だと思う。でも、確かにアナログなものにだけある良さや古き良き時代にしかないものがあって、それを忘れるのではなく、引継ぎつつも変化していくこと。
これが口で言うのはカンタンで、なかなかできないし忘れてしまいがちだよね。
スマホさえあれば情報が零れ落ちてくる「半強制的、受動的の時代」とも言える今、主体性を持つためには情報過多から抜け出してシンプルな人間としての生活を大事にすることもいいかもしれない。「引き算」がほどよく上手になれたらいいな。
そうすることで、見逃していた小さな名店も見つかるのかも、ね?ということを感じるnote。こういうところは、充紀さんならではの視点だなと思うんだ。

「”どう伝えるか” より “何を伝えたいか” が第一歩」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n5dc9f190eeab
「“どう伝えよう” と考えるから、気持ちが伝わらないだよ。気持ちを伝えたいなら、まずは “どう伝えるか” より ”何を伝えたいか” 先だろ。
不器用なくせに、あれこれ余計なこと考えてるから、小手先でやりくりしてるように見えちゃうんだよ。
だったら不器用なりに、まとまってなくてもいいから伝えたい気持ちを素直に話す方がよっぽど意味があるんじゃないの?」
「”どう伝えるか” より “何を伝えたいか” が第一歩」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n5dc9f190eeab
誰かに、何かを届けられる言葉を、丁寧に紡いでいこう。
「”どう伝えるか” より “何を伝えたいか” が第一歩」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n5dc9f190eeab
「どう伝えようか」という自分への「問い」みたいなものは、ライターなどの物書きが必ずぶち当たるところでもあると思う。伝えたいことがあって、それを伝えるためには、どう伝えるかって悩みどころだし考えざるを得ない部分でもあって。
ただ、「伝え方」にフォーカスしすぎることで、だんだん何を伝えたかったかがぼやけてしまうこともある。そもそも届けたかったことに余分な言葉がついてきて結果「伝わらない」ってこともあるんだ。
「誰かに、何かを届けられる言葉を、丁寧に紡いでいこう。」
充紀さんのこの言葉をキャッチコピーにして、トラックに張り付けて走らせちゃえばいいと思った。ライターじゃなくても、ごく日常の会話の中でも、きっと原点はここにあるから。
自分なりのやり方で、自分なりの心で。
「ただただ、祈る。」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n46f07f53641c
近所のネパールカレー屋さんの看板を見て、虚しさが溢れている。
— 充紀 | Webライター (@Mitsuki_SmiCof) January 23, 2021
正解もゴールも、何をどう頑張ればいいのかも、誰も分からない問題。
気持ちだけではどうにもならない現実が、つらいね。
僕は何も出来ない。
でも今晩は、カレーにしよう。 pic.twitter.com/Kh33oVgMpE
まるで「メッセージ」のような看板に、胸が締め付けられる。ちょっと頼りない日本語だからこそ、より一層伝わってくるように思えた。でも重要なのはそこじゃなくて
「その声をちゃんとメッセージとして受け取り、考えた」ということなんじゃないかなって思うんだよね。
そして、「正解不正解ではなく、自分なりのやり方で、ただただ祈る」というのが、充紀さんの素直な思いである。それってなんか、オーバーなことをやるより考えるより、あったかいことだよなって単純にそう思う。
結局のところ、それでも僕は綺麗事を信じたいらしい。何も変えられないとしても、誰かの「気持ち」にほんの少しでも、元気を与えられたらな、と思う。
今日もカレーを食べてきた。僕の他にお客さんは誰もいなかった。だけど、看板から察していた通りとても素敵なお店だった。とても美味しかった。
「ただただ、祈る。」https://note.com/mitsuki_smicof/n/n46f07f53641c
今回充紀さんのnoteをたくさん読ませてもらって、日頃SNS上で彼が周りの人に与えている空気感というものの正体が少し見えてきたように思う。一番の魅力は、「バランス感覚」が備わっているところだ。足しすぎてもいけない、引きすぎてもいけない。力み過ぎてもいけない、ただのバカになってもいけない。
そういう「バランス感覚」を、いい感じに身に着けている人なんだよ。
そして自分を客観視する力と、人の素敵な部分を見つける力。充紀さんはおいしいごはんを食べるのが好きだから言うけど、「ええ塩梅」ってやつだと思う。
フリーライター充紀の持つ「温度」とは、熱を持ちすぎた人をいい感じに冷ましてくれる心地よい「夜風の温度」である。
充紀さんのnoteはこちら→https://note.com/mitsuki_smicof
充紀profile:フリーライター。京都観光・ヘアケア・シェアハウスに関する記事が得意で、継続受注しています。 noteでは、テーマを決めず日々思ったことを思うままに書き綴ります。 Fav → 散歩 / 京都 / 日本の四季・自然 / 日本の文化・伝統 / 音楽・映画・小説 / 犬・猫・鳥
kandouya編集部/森花