
「そこに、温度がある人たち。」2月の第七回は、とおるちゃんとひよりんのnoteをご紹介したい。
「とおるちゃんとひよりん」と言うと新しいユニットみたいになってしまいますが、(なんか可愛い…)そうではありません。とおるちゃんは佐々木透さん・ひよりんは小野日和さんであり、ふたりは別々です。
ではなぜとおるちゃんとひよりんを一緒にご紹介するかというと、ふたりには共通点があるから。
それではいきましょう。
「愛し愛されるために」https://note.com/toru_chan/n/n346f70073c00
俺は、
「愛し愛されるために」https://note.com/toru_chan/n/n346f70073c00
この家族に
“ほんとうの愛”を感じない。
母親は困っている時に
物資を送らないそぶりだしておいて
突然送ってきて長文の説教LINE。
それが今日おきたこと。
もうこんな家族のカタチが嫌なんだ。
説教や強要がある事で
愛を感じない。
とおるちゃんは、kandouyaでもたびたび記事にしているような気質や、愛着障害、親の過干渉などの経験の持ち主。その意識は、一般的な人からいうと結構とおくの場所にあって、見ている視点が魂レベルだと思ってる。
こういう人は、少ないけれど時々いる。
とおるちゃんのような人は、大体「外を意識して言っている」のではなく「自分の内側の意識を大事にして生きている」という人なのだ。
内省的な言葉を書く人なので、深いところまで潜り込んで自分を見つめることが得意じゃない人からすると、理解を得られなかったり、住み分けられたりしてしまうこともあると思う。ただ、内側に常に意識がある人は稀である。
その稀な魅力に気づくか気づかないか。判断は、読み手によって大きく変わっていくだろう。

ひよりんも、また同じ「自分の内側に意識のある人」である。自分の感性の中へもぐりこみ、深く深く見つめている。内省も突き抜けてしまえばもはや一種の才能であるし、ひよりんも外を大きく意識していないので、SNSでも自分の考えをひたすら流すように書いているのだろう。
こういう人も、稀である。
たとえばTwitterに投稿するなら、ついつい外側を意識して書くのをためらったりやめたりすると思う。言いたくても言わないこともあるかもしれない。ひよりんは、そうじゃない。たぶんしっかり見たことがある人はわかると思うんだよね。
「自分が人生を変えれるなんて信じられなかったから信じてくれてる人も自分も信じられなかった。」https://note.com/hiyoriooo/n/ned9176bbbb98
痛みを忘れて、また繰り返してきたことを
自分と対話して、感じて。
自分ひとりで自分と向き合えずに、
他人に助けを求めた日に、言われてたのに
私自身だけじゃなくて、俺くんも感じること
感情にのまれ、また繰り返した。
自分が人生を変えれるなんて信じられなかったから信じてくれてる人も自分も信じられなかった。https://note.com/hiyoriooo/n/ned9176bbbb98
自分を取り繕うことをしない生き方は、勇敢である。でも、その分むき出しになった心を痛めてしまうことも多いし、裸で自分と向き合うことはそう簡単なことではない。
それでもそうすることしかできない人だけが持っている強い意志を、とおるちゃんとひよりんから感じた私である。
「愛を求めている」「愛されたい」と口に出すことは恥ずかしいことではない。いくつになっても「真実の愛」みたいなものを探し続けることは、かっこ悪いことではない。
ふたりが求めている境地に、たどり着けることを願っている。
佐々木透/note: https://note.com/toru_chan 短編小説:「僕の好きだったキミhttps://note.com/toru_chan/m/m64d42b86df06
小野日和/note: https://note.com/hiyoriooo profile:ただ、純粋に私で存在し私で生きる。 自分には何も無い。そんな無価値感から脱却中私が私だから価値がある
kandouya編集部/森花