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ネガティブ/マイノリティ専用WEBマガジン

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自分に自信を持てなかったり、様々な環境の中でうまくいかないこと、
苦しいことに躓いた時、すべての方が少しでも自分自身を大切に
愛することができますように。

【episode2】正直な視界・感覚・思いがすべて。Yukana

yukanaさん

「そこに、温度がある人たち。」Part3の第2回は、yukanaさんとnoteをご紹介したい。

yukanaさんは、twitterでは旅と音楽と食事、笑顔をこよなく愛し、ユーモアを忘れずにい生きるという指針をprofileに書いている。

「おもろい!は原動力」の言葉が頭に強く残るが、noteではとても現実的で深い、日常や人生への考察を記している。

本音と建前と自由意思

この記事でyukanaさんは、自由意志に任されている人生の中で、本音と建て前の波をどう泳いでいくかということを語っている。この記事の中には、私自身の心境や状況とリンクする箇所がある。

逃げたい時に逃げられる術をもっておくのはきっといいことだし、それは責任逃れをするのとはまた違う。
身を守る意味を履き違えないことは、すごく大切な気がする。

本音と建前と自由意思|Yukana

人は「逃げる手段や場所がある」とわかっているだけで、ストレス耐性が強くなることがわかっている。いつでも逃げられるとわかっているだけで、実際には立ち向かう力が強くなるということだ。

しかし、ときにそれは「責任逃れ」になってしまうことがあるし、私自身その両者間でせめぎ合うことがある。

人は簡単に変われないし、そもそも持って生まれた個性があるのだから、無理なことは無理でいいんじゃないか。ハードルの高い場所へ進むより、心地の良い方や自分が好きなことだけを大事にしてもいいのではないか。

逃げてもいい、うまく逃げることもスキルのひとつ……というのは確かに一理あるのだけれど、緊張で凝り固まった自分を癒してあげるはずの言葉は、いつのまにか責任転嫁や成長機会を逃すことになる場合もあるのだと、私自身身をもって痛感している。

やってもいいしやらなくてらもいい自由意思のもとで、人はどこまで頑張れるのだろうか。
そんなことを、人生を通して問われているような気がする。

本音と建前と自由意思|Yukana

私たちは、すべて「やってもやらなくてもいい」世界の中で生きているのだ。特に日本という国は、最低限度の生活が保障されている国である。

ただ、生きてさえいればそれでいい世界のなかで、どこまで進もうと足掻くのかを問われているのかもしれない。

少し前まで「自由になりたい」と願う人が多かったが、そんな人たちもいざ自由になると「自由意志」がわからなくなることがある。

「何をしたらいいかわからない」「自由ってなんなのだろう」という新しい苦悩が生まれることも珍しくない。

人生の中にはやってもやらなくてもいいことしかないし、極論を言えば生きてもいいし、死を選んでもいい。選べないものはない。

それでも私たちは、生涯を通じて何かを自由な意思に従って選び、習慣づけ、信念を作ったり壊したりしながら「自由意志」の海を泳いでいるのだと、改めて身につまされた内容だった。

yukanaさんの文章には、ポンッと心の中に飛び込んでくる言葉がある。

逃げるべきことと立ち向かうべきこと、選ぶべきものと捨てるべきもの、人の良い部分と分かり合えない部分……そういったすべてのものを「眼鏡を磨く」という視点で生きる。

こんなことを心に浮かべながら生きている人が、果たして世の中にどのくらいいるのだろうか。

分類のジレンマ

もうひとつ、私が個人的にヒットしたnote記事「分類のジレンマ」を紹介させてほしい。

私はどちらかというと、細かく分類をするのは論文を書く時くらいでいいのではと思ったりしている。
バイキングで並ぶ、ひと口サイズの美味しそうな料理たちと似ている気がする。

例えばパプリカとクラッカー、クリームチーズが乗っている料理があったとする。
クラッカーの傾き、パプリカの形、クリームチーズの塗られ方。

同じようで、よく見ると少しずつ違う。
だからといってそれぞれの違いを、食べようとする人に説明することはない。

分類のジレンマ|Yukana

この記事は、人の気質や性格特性、性自認などのありとあらゆる性質をカテゴライズすることについて書かれたものだ。

私も人の性質を分類はすることは、視野を狭めるおそれを感じる。しかし一方で、自分自身がこだわりすぎる性格なこともあって「分類」に集中しすぎて本質から逸れそうになって「危ない危ない……」と引き返したことも、何度かある。

この危うさに対して、スイーツをメタファーにもってくることでより理解しやすく、響きやすいと感じた。

分類にこだわる人も、分類はインデックスのようなものだと大きくとらえられる人も、両方の気持ちがわかる。yukanaさんも両者の中立で広く構えているのだ。

知りたいと思う人と、知ってもらいたいと思う人が、やわらかく繋がることのできる場を作れたらいいな。

分類のジレンマ|Yukana

この一文に、私はたくさんのヒントをもらった。前途したように、私は視野が狭くなりがちである。知ってもらいたいと思う人の視点に偏りがちなのだが、実際には「あなたのことが知りたい」と向こうから歩み寄ってくれる人だって増えているはずである。

「自分はこういう人間である」という説明がすべてではない。感じ取ってもらうことや、知りたいという気持ちに対しても、分類への執着が壁になり得るのかもしれない。

写真引用元:転職日記その6 やたらとやる気がないのは|Yukanaさんnoteより

yukanaさんの文章からは、正直な心の声がしっかり響いてくる。それでいて、中立的で穏やかな雰囲気が全体の雰囲気を中和している。

写真はすべて、彼女が実際に見たもの、眼球のうごきそのままだ。

彼女が、ふとした日常を生きながら「どこに焦点を当てているのか?」「どこに視線が向いているのか?」がよくよく伝わってきたように思う。

この視点や感性を生かして、表現することを続けてほしいと思えるような人柄だった。

yukanaさんのnote→https://note.com/ochatomochi

yukanaさんのInstagram→https://www.instagram.com/yumea1/

yukanaさんprofile:旅と音楽と食事、笑顔をこよなく愛して心を動かすのが好きです。好奇心がバクハツしがち。建築という学問が好き。銭湯にいます。夢は世界のおふろチックな場所をノリノリで巡ることです。ユーモアを忘れず、いきいきと生きます。おもろい!は原動力。

Kandouya編集部/夏野 新

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