
HSPって、やっぱり生きづらいかもしれない。もう自分が情けなくて泣きたくなる。でも、情けないけど人間の愛おしさに感動もしている。何で泣いてるのかわからないって、こういう気持ちのことだなぁって思っている。
今日、10歳と5歳の子供たちが揉めていた。でも、私は両方の気持ちが全部手に取るようにわかるので、ふたりの感情が私の体にブスブスと刺さってきた。両者の気持ちがわかりすぎてつらい、だからこそ、自分がどう仲裁してあげたらよいかもわからない。我慢できなくて泣いてしまった。何もできないで、子供みたいに泣いてしまう自分にも腹が立ってくる。
でも、多分長男は、私が泣いている理由は「次男がかわいそうだから」という理由だと思ったんじゃないか。次男は「またお兄ちゃんとお母さんがケンカするんじゃないか」そんな風に見ている気がして、もう頭の中が大混乱。今起こっていることの、その先の先くらいまで予測できてしまうのだ。
子供たちはそのあと、すぐに気を取り直して一緒に遊んでいたけれど、私だけなぜかずっと泣いていた。悲しいとか、困ったとかじゃなくて、みんなの気持ちと自分の気持ちが濁流みたいになって流れてきてしまうんだ。
HSPの特性は、素晴らしい。でも……疲れる

HSPの共感性は、本当に才能だと思う。私はHSPに関する本を書いていて、その原稿にも「HSPの才能を最大限に活かすために」というテーマを扱った。その原稿を提出した矢先のできごとだった。
やっぱり、HSPの才能は素晴らしい。何度考えても、やっぱり素晴らしい。神様から選ばれたといっても過言ではない。
HSPは自己診断が基本だけれど、DOESというHSPの定義も実は提唱されている。DOESをよく見てみても、私はほどんど長所と思えるところばかりだと感じているのだ。
HSPの定義「DOES」とは?
Depth of processing … 深く処理する
Deing easily Overstimulated … 刺激を過剰に受け取る
Emotional reactivity and high Empathy … 感情的な反応、高い共感性
Sensitivity to Subtle stimuli … 些細な刺激に反応する感受性
Dは、情報処理の深さ。HSPは1言えば10わかるともいわれるほど、理解力が高い。そのため、人よりも日々の学びが深く、考え方も柔軟で飛躍する。
Eの感情的な反応や高い共感性は、芸術作品や音楽、映画、小説などの創作物に対して、心を動かされたり、人の気持ちがわかることによって、さまざまな人に寄り添ったものの考え方ができる。
Sは、ちょっとしたものの変化や、小さな異変にすぐに気がつく能力のこと。時間や季節ごとに空気のにおいが違うことや、人の声色や目線などのちょっとした動きも見逃さないこと。
これらは全部、才能であり長所だと思う。
ただ、Oの過剰に刺激を受けとるというのは、デメリットになりやすいので確かに弊害はあるだろう。
でも、基本的に私はHSPは有能であり、貴重な存在だと思っている。自分でその気質をもっていると自覚しながらこんなことをいうのはおこがましいかもしれないけれど、HSPは頭がよくてユーモアのセンスもいい、そして何より優しい人が多い。
しかし、今の世の中ではHSPはまるで「ハンディ」や「生きづらさの根源」のような捉え方をされていることにすごく違和感をもったのだ。だから、今回の書籍ではHSP=ハンディという概念をぶち壊したかった。もっと、たくさんの人に自分たちの良さに気づいて欲しいから。
どんなことも、メリットとデメリットは表裏一体だ。だから、自分のHSP気質をメリットだと思うか、デメリットだと思うかは、その個人で決められる。しかし、冒頭のエピソードは、そのことを書きあげて、ホッとした瞬間のできごとだった。
どんなにメリットに目を向けようと思っても、やっぱり人の感情が入ってき過ぎたり、刺激を過剰に受け取ってしまうのはしんどい。
でも、だからって「やっぱりHSPのメリットだけを見ようなんて無理なんだ……」と、嘆くことはやめた。久しぶりに感じた「他人の感情の濁流にのまれる」という感覚は、私に新しい発見をくれた。
それは「人間の愛おしさ」「人間らしさ」だ。
HSPは優しくて、人間味あふれる気質

うまくできない、言葉にできない、理解が得にくい。
こういうのは、確かに「正論」「正解」「強さ」「真っ当さ」が求められるこの国には、適応しにくいこともあると思う。というより、適応できないことばかりでウンザリする人だっているだろう。私も昔はそう思ったことがあった。
でも、それが人間だと思うんだ。
わかっちゃいるけどやめられない。
頭ではわかってるけど、身体が勝手に反応する。
自分の考えていることが、はっきりわからない。
なんで好きなのか、なんで悲しいのかわからない。
生きていると、そんなことがたくさんあると思うのだ。それは、HSP度が強ければ強いほど、そうなのかもしれない。もしくは、元々繊細で敏感なこの気質をもちながら、それを理解されずに育ったり、つらい毎日を過ごしながら生きてきたからかもしれない。
「うまく説明できない」「自分でもなぜだかわからない」「どうしようもない」
この感覚を、私は共有して、認め合いたいのだ。
HSPは確かに長所なんだけど、やっぱり大変なことも多い。私のように、可愛い子供たちとのやりとりくらいならいいものだろう。
過酷な職場で働く人たち、複雑な人間関係に悩んでいる人たち、上司と部下の板挟みになりながら日々消耗している人達、安らげる場所や受け入れてくれる人がない人たち、キツイ言葉やひどい仕打ちを受けている人たち。
いろんなHSPがいると思う。そんな人たちの「どうしようもない」という気持ちを受け入れたい。
「人の気持ちがわかりすぎている」ことに気づいていないHSPも多い

今でこそ、私はこうして「人の気持ちがわかりすぎる」というのはどういう状況なのかを人に説明することができるようになった。でも、少し前までは、こんな風に冷静に分析したり、人に説明したりすることなんてできなかった。
「よくわからないけど、なんか苦しい」
「うまく言えないけど、ストレスが溜まる」
「普通に生きているだけで疲れる」
毎日そんな風に思っていた。
それは「人の気持ちがわかる」ってどういうことなのか、わからなかったからだ。
HSPの人の気持ちが手に取るようにわかる、というのは「理解できる」「想像できる」ということとは違う。
相手が感じているのと、同じ状況に自分が置かれているくらいに、そっくりそのまま感情が再現されるという感じだ。
まさに「その人」になったような気持ちになってしまう。
だから、それを自覚していないと、他人のことなのに自分の方が悩んでしまったり、誰かのために必死になって手助けをして、自分の感情や状況を忘れそうになったりもする。心ここにあらず、な状態になることだってあるし、面倒なことに巻き込まれることも多い。
でも、「人の気持ちが自分に突き刺さっている状態」をだんだん見極められるようになってくると、少し楽になる。
自分がダメなやつなのではなくて、誰かの感情を自分の感情と錯覚して、苦しくなっているだけだ。
きっと、あなたも「なぜつらいのか」がはっきりしなくて悩むことも多いと思うけど、きっと上手に付き合える日がくると思う。
HSPは、この特性のメリットとデメリットの両方を実感するサイクルを繰り返す

HSPの気質を、よいものだと捉えられるときと、やっぱりデメリットじゃないかと泣きたくなるとき。その2つの状況は、交互に繰り返していると思う。
私みたいに「HSPだからこそできること」を実感したかと思えば、その矢先に「あぁ、やっぱり私はこうなるんだ」と落ち込む。
でも「これは感情が入り乱れて、どうしたらいいかわからなくなっているだけだ」と自覚できれば、自分の不甲斐なさも少しは救われる。別に、何もできない自分を責める必要はない。だって、何かを感じ取っている量は、一般の人の数倍もあるんだから。
どんなことも「陰」と「陽」のサイクルを繰り返すものだ。これは、自然の摂理のようなもの。
朝がくるから夜もくる。光があるから影ができる。闇を知るから、灯りの尊さがわかる。
HSP気質を徹底的に理解したつもりの私だって、こういうことがあるんだ。だから、落ち込んだらまた自然に浮き上がってくるのを待てばいいんじゃないかなと思う。
HSPは人の感情を体験できる、素晴らしい学習能力である

やっぱり自分は、普通の人が普通にやりすごせることにつまづいてしまう。
普通のことが、普通にできないことがある。
そんな「情けなさ」や「もどかしさ」を感じることが、あなたにもあると思う。
でもそれは、あなただけではない。私も、きっと他のHSPもそうなんだ。表向きには「私、普通に生きてます」とすました顔をしているだけで、5人に1人は感情の濁流にのまれて苦しんだり、泣いたりしているってこと。満員電車でいえば、1車両に60人くらいはHSPがいるって計算になる。なんだ、けっこう仲間がいるんじゃんって思えるだろう。
人の気持ちがわかる、それを超えた「わかりすぎる」って不思議な感覚だ。自分を生きているのに、他人の気持ちまでわかっちゃうんだからそれはすごいことだ。
この特徴が強いHSPは、きっと映画や本や音楽などいろいろな芸術作品を見聞きするだけで、それを実際に経験したかのように身の糧にしていくことができる。人の話を聞くだけで、非HSPよりも経験値を積むことができる。
これはやっぱり、長所なんだ。
私はまた泣いてしまうことがあると思うけど、やっぱりHSPの気質をもって生まれてよかったなと思っている。/夏野 新