考え過ぎて結論が出ない。気がづきすぎるがゆえに行動できない。想像力が膨らみ過ぎて固まる……
しなくてもいい予測を勝手にしてしまうのが、HSPの脳の特徴。それによって、行動に移すことができなかったり、一般的な人の行動とはちょっと違った選択をしてしまいがちなのも「あるある」ではないだろうか。
HSPは情報処理の深さや速さに長けているのだが、それゆえに「考え過ぎて疲れる」という現象が起こる。考え過ぎて疲れるのは、HSP特有の悩みとして代表的なものだが、そのときの頭の中の動きはどうなっているのか?
HSPあるある①遠くにいる知り合いとの距離

HSPは、外出先で知り合いがいることに気づくのが比較的早い傾向にある。その時間帯や日々のパターン、相手の自転車の色や形、いつも着ているアウターの感じ、背格好、帽子のポンポン……といったような、総合的な情報を瞬時にまとめて「あ、あそこに〇〇さんいるな」と認識するのが早い。
相手と自分の進む速度、そして相手と自分との距離。速度と距離を計算に入れつつ、その間に「第一声何を話しかけたらいいんだろう」「こう言ったら変に思われるだろうか?」「この話を振ったら唐突すぎるだろうか」「いつも同じ話しかしないと思われるおそれもあるな」などと、複数のパターン予測をし、さらにそれぞれの言葉を発した場合に起こり得る相手の反応や気持ちまでもを推測する。
時間的な余裕もないため込み入った話になるのは避けたいが、少しは世間話でもしないと失礼だろうか、かと言ってどうでもいい天気の話なんてとってつけても仕方ないか……?
考えようと思わなくても、勝手に湧いて出てくるのが厄介なところだ。
そして、ついに自分と相手の距離がすぐそこに。こちらは、膨大な情報処理の結果導きだされた「第一声」を用意している。さぁ、満を持してその第一声を発しようとしたその瞬間!
相手の人がこちらに投げかけてくれる言葉は、その用意していた言葉に全く対応しない!予想外! 自分が数々のパターン予測をしたのにも関わらず、その計画を見事にひっくり返されるような言葉が返ってきたとき、頭の中がパニックになる。
結果「あ!え?あぁそうなの、あはは……じゃ!」と逃げるようにその場を去る。
だから、その人と別れたあとに「あぁ、何も気の利いたことを言えなかった」とか「あれ言わない方がよかった……?」とぐるぐる思考に陥り、しばらくそのシーンに頭が占領される。
HSPあるある②4人以上のグループでの会話

HSPは複数人での会話が苦手なことが多いが、それは「すべての人を1ミリも不快にさせず、全員にとっての最善を尽くしたい」と脳が勝手に情報処理をはじめることが理由ではないか。
たとえば、Aさん・Bさん・Cさん、自分のメンバーで会話の輪が繰り広げられているとき。
AさんとBさんの間で特定の話が盛り上がり、Cさんが若干ついていけていない状態に。Cさんはふたりに割り込まず、話の文脈から内容を把握しようと頑張っている風に見えるが、まったく加われていないぞ……。
ここは私も知っている事情をさらっと説明して、全員の認識が同じレベルになるようもっていくべきか? でも、説明するには長くなる上になんかまどろっこしい。それに自分が「自分も事情知ってます」の感じで入っていくのもなんか不自然というかおこがましいというか……。
そういえばBさんは、16時から別の場所に移動するって言ってたな? そろそろ動き出した方がいいのでは。でも、今かなり話が盛り上がってるから「時間ですよ」なんて割って入れる空気ではないな。 そうなると、次に話を振られたときにはこの話を収束させる方向で、まとめるような返事を返さなくてはいけないな……
そしてふと我に返って「私は何の心配をしているのか?」という気持ちになり、ぐったりと疲れる。
HSPあるある③考え過ぎて最終的に屈する

考え過ぎたり空気を読み過ぎたりした結果、目的をあきらめて屈することも多い。
今日の昼はおにぎりが食べたい気分。コンビニでおにぎりとお茶を買いたいけど、昼時の混雑でおにぎりコーナーの前に人がいっぱい。う~ん、後ろで待つのもなんだか「急いでよ」という感じを与えてしまうかもしれない。
だから、先にお茶を選ぼうと思いドリンクコーナーに行ってみると、今度は店員さんが商品の在庫補充中! 念のためおにぎりコーナーをもう一度のぞくとさっきより人が少なくなったので、今がチャンスとばかりにそちらに急ぐ。
しかし寸でのところでスーツ姿のビジネスマンが再度おにぎりコーナーのわずかな隙間に前に立ちはだかる! ビジネスマンは多忙だろう。電車1本逃しては困るような商談を抱えているかもしれないし、それに比べたら自分は少し余裕があるから一歩引くか。もう一度お茶コーナーにもどって、お茶だけはなんとかゲット……。
でもなんだかもうおにぎりを選ぶ気力が残っていないので、そんなに食べたくなかったパンを手に取ってそさくさとレジに並ぶ。
「もうこれ以上考えたくない」と思う自分自身を守る気持ちから、屈したり、本来自分が欲していたものをあきらめる方が楽だと感じたりする。
HSPあるある④知人から自分の子どもに話しかけられたときの間

子どもがいる場合、自分と子どもの行動はセットになるために考え過ぎる状況の数も増える。子どもと一緒のときにはよく「子ども独特の間」に対してどぎまぎしてしまうこともある。
子どもを連れて歩いているときに、知人に会ったとしよう。するとその知人は、自分の子どもに対して「あなたの存在もちゃんと認識しているよ」という意味を込めて、話しかけてくれることが多い。「〇〇ちゃん、今日幼稚園いってきた?何してきたの?」優しく話しかけてくれるが、当の子どもはだんまり!
おそらく子どもとしては緊張していたり、幼稚園でやったことが1つではないために、どこをどう切り取って話すべきかわからず混乱していたりする模様。
でも……せっかく話しかけてくれてるんだから、うんとかすんとか言って……! でもしかたないよな、どっちの気持ちもわかりすぎて私はどうしたら……。
あまりにも間ができてしまうときは、自分が代わりに答えたり誘導したりすることもある。しかし、子どもが聞かれた質問に親が答えたり割り込んだりするのって、本当はよくないって本で見たなぁ……もしかして、私が無意識にそうやって接してきたからかも? 私の子育てこれでいいのかな……。
ただの日常の1コマが「自分の子育て間違ってないか?」にまでに発展する。
HSPあるある⑤気を遣いすぎて気を遣えない
「あれ?あの人今日はいつもと様子が違うな?」と気づくことがある。しかし、そこでスッと声をかけることができない。
もしかして、この人体調悪い? どうしたんだろう。無理して来てるんだったら大丈夫だから休んでと声をかけてあげるべきだろう。でも、本当に具合が悪いという証拠はないし、しかも具合が悪い中自分の意思でここまできたということは、あえて何も触れないほうが本人のためではないか? もしくは体調が悪いのはまったくの勘違いで、見当違いなことを言ったことにより相手に「は?」と一歩引かせてしまうおそれもある。私が今取るべき最善の選択とはいったいなにか……
そんなことをけっこうな時間ぐるぐる考えているうちに、別の人が「調子悪い?大丈夫?」とその人に声をかけているではないか。「ちょっと貧血気味で。ありがとう気づいてくれて。」と素直に喜ばれていたりする。結果的にいつも救世主となることはできない。
HSPあるある⑥人の顔を覚えすぎ

HSPは人の顔を覚えるのが得意な傾向がある。顔と名前が一致しないことはあるが、人の顔は「視覚イメージ」として記憶しやすい。だから、話したことも接触したこともないけど、顔はよく知っている……という存在の人がけっこういる。
そんな「接したことはないけど、よく見かける人」は自分の中では馴染みの顔である。そして、いざその人と話す機会が訪れる日がきたそのとき……!
はて。この人、自分にとってはすごくよく知った顔だけど、相手は私の顔なんて覚えていないかもしれない。眼中にないかもしれない。だから、私が相手をよく知っているという体で接すると、おそらく相手は「え、誰?なんで私のこと知ってるの、気持ち悪い!」という不快な印象を与えるおそれがある。
でも、もし相手も自分と同じように「顔はよく見たことある」という認識だった場合、まったくの初対面の「はじめまして」を使い何食わぬ顔で接するのは、逆に失礼になるのでは? いや、でもけっこう何度も見かけている人だし、この際「よくお見掛けしています」などと気の利いた一言を添える必要があるのか……何が正解かわからないので結果、微妙で不愛想な感じになってしまうこともある。
HSPあるある⑦作業を見られていると頭が真っ白

誰かに作業を見られていると、本領をはっきできないのもHSPあるあるである。これはチェックリスト項目の中にも明記されているため、はっきり自覚のある人も多いはずである。
新入社員の頃。はじめて使うパソコンソフトの使い方を先輩から教えてもらって、自分なりにコツコツ練習したり実際の作業をこなしたりしながら少しずつ覚えだした。簡単な書類の作成なら、なんとか一通りの作業は自分ひとりでできるだろう……というところまで頑張ったが「どう?使えそう?」先輩が横について一緒にパソコン画面をのぞき込んできた。
あぁ……やっぱりダメだ。見られているというプレッシャーに耐えられず、今まで練習してきたことも要領をつかんできたところもすべてが吹っ飛ぶ。なんとかそれを悟られまいとして頑張って平静を装ってみるが、やっぱり見られているという「圧」がそこにあるだけで、変なボタンを押してしまったり、カーソルがどこかに飛んでなくなったりと初歩的なミス連発!
結果「まぁ、ゆっくり慣れてくれればいいからさ」と慰められたり、呆れられたりする。
違うのに、本当はできるのに。見られているとできないなんて子どもじゃあるまいし、なかなか言えない。
HSPあるある➇仕事中の気づかい疲れ
接客業やサービス業では、お客様に対してよりも同じ従業員への気づかいの方が消耗しやすい。
たとえば、コンビニ業務を例にあげてみよう。 今日のシフトは、あまり親しくないベテランの従業員と自分の2人。 少ない人数で店を回す時間帯。お客さんもまばらで、もうおおかたの作業も終わってしまった。するとどうしても、レジ内でお客さんを待つ「間」ができてしまう。何か話したほうがいいのだろうか。
しかし、若造の自分が年上の方に何を話しかけるべきか? 私語は慎むようにと言われるのでは? しかしやっぱり、何もしないわけにはいかないので、商品の前出し作業でもするか。いやしかし、お客さんがほどんど来ていないこの状況で前出し作業は不要な作業だ、そこを指摘されるおそれもある!
しかも自分がこの場を先に出ていくのはどうなのか? 年長者で仕事の歴長い人をレジに残して、私だけ先にこの気まずい沈黙から逃げるのは失礼にあたるのではないか。内心「自分だってこの沈黙になんとか耐えていたのに、先に逃げるなんてズルいぞ!」と思われてしまうなんて危険性も否定はできない……!
はたして、最善とは何なのだろう。
HSPあるある⑨気がつきすぎていることを悟られたくない

HSPはいろいろなことに気づきやすいが、それと同時に「気づいているという事実を悟られたくない」という気持ちももっている。だからこそ、考えがぐるぐると巡ってしまうのだ。
「こうしたらいいのではないだろうか?」という策はすぐに浮かぶ。私だったらこうするのに、ここを変えるともっと効率よくなるはずなのに。
そんな予測や具体案が浮かびやすい。しかし「細かいところにも気づいている」のを悟られてしまうと、「出しゃばっている」「何でもお見通し?」「マウントをとられた」などの悪い印象として受け止められる場合も想定してしまう。
自分の考えや視点を表に出しすぎることで、相手が不快な思いをしたり場の空気が不穏になったりするような予測も一瞬で浮かんでくるのだ。「敏感さを悟られることの危険性」も常に隣り合わせである。
「こうしたほうがいい」と思うことが日々多すぎるのに対し、それを口にしたり行動に起こしたりすることが許される場面が少ない。HSPがもし仮に、気づいていることすべてに対応すると「めんどくさい」「論破しすぎ」「細かすぎる」になってしまうのではないか。わかっているけど言わない、気づているけどできないという選択をしている、そんな自分が嫌になることもある。
HSPあるある⑩そして寝込む

日々こうしたぐるぐる思考に悩んでいるHSPは、とつぜん寝込む。すぐに体調を崩す。そして、よく眠る。
HSPにとって、外の世界、生身の人と接する場所は「正解のない計算式」をひたすら解かされているような感覚だ。気にすることないのに、考えなくてもいいのに、という言葉はHSPにとって酷だ。「それができないから、苦しいんだけどなぁ」と多くの繊細さんが感じていることだろう。
日常のほんのささいなワンシーン、毎日繰り返す何気ないひとコマ。その一瞬一瞬に、莫大なエネルギーを消費してしまう。だからもちろん、刺激の強い場所や不快なこと、ストレス要因の多い場所で過ごすのは、もはや地獄なのだ。
なんだかわからないけど具合が悪い。風邪もひいていないのに、眠くて眠くて起きれない。そういう体調不良を起こす日の割合も多い。ただ普通に人と食事をするだけでも、グッタリと疲れてしまう。たとえそれが「自分にとって、とても楽しくて好きな人たち」であっても、頭のフル回転を止めることはできない。
自分って弱い、体力がない、気力が続かない、普通のことができないなどとネガティブなレッテルを自分自身につけていることもある。
メリットにもデメリットにもなる、HSPの瞬間的な予測力
HSPは瞬間的な想像力を発揮して、いろいろな予測を立てる。この記事ではイラストと文章で、HSPの頭の中を表現してみたけれど、これがほぼ一瞬で行われていることもポイントだ。このように文脈として感じているのではなく、瞬間的に「感覚」として受け取っている。
大量に湧いて出てくる思考予測は、そのときはとてもぼんやりしていて正体がわからないことも多い。
その結果「やらない」「できない」「ひとりになりたい」という選択をしがちだ。ゆえに「コミュ障」「根暗」というマイナスな印象をもたれることもある。
人と接触しないように遠回りしたり、大勢での会話にうまく参加できなかったり、気の利いたことができなかったりする。それは確かに人から見ると、感じが悪く見えることもあると思うし、何も考えずボーっとしているように見えることもある。
HSPが人との距離感を保つことや、大人数の輪に加わらないこと、人を避ける選択をするのは、その方が全体的な効率がいいからでもある。できるだけ、相手の時間を奪いたくない、手を煩わせたくない、不快な思いをさせたくない、変に気を遣わせたくない。その方が相手は楽だろう。「良かれと思ってしたことで、かえって相手に不快な思いをさせる」ということも少なくない。
ただ、そればかりやってしまうと自分がエネルギー切れになる。だから結局、内向的になったり、人と接触しない方を選んだり、賑やかな場所やグループを避けることもあるだろう。
本当は、自分が「こうしたい」と思ったらそうしていいし、「最善とは何か」なんて考えなくてもいい。結局のところ「人に不快な思いをさせてしまったとき、自分がつらい」という自分かわいさの部分だってあると思う。
できないのはしかたない。やらない選択をしてもいい。頑張ってみても、無理なものは無理でいい。それを一度認めるのは「本当は苦手だけど、ここはちょっと頑張らねば」という逃げてはいけないポイントをはっきりさせることにも役立つ。
最終的に「自分はなぜいつもこういうパターンに陥るのか?」という分析ができてくれば、そんな自分をダメだと思わなくなるはずだ。
そして、こうやって同じような状況やそのときの心の動きに「うわぁぁ~!」っと頭を抱えている仲間が、たくさんいることを知ってちょっと笑ってもらえたらいいな、とも思っている。/ 夏野新
Kandouya編集部とLINEでお友達になるには、友達追加ボタンをタップしてくださいね。動画の配信や新着お知らせ、LINEのみで読めるシークレットコンテンツがありますので、ぜひ追加してください♪