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【人生つまらない?】好きなことも、夢も、目標もない若き日の『あなた』へ

10代から20代でまだ自分の人生の方向性が定まっていないあなた、夢なんか無理やり探さないでください。やりたいことを仕事にするとか、好きなことだけして生きるとか、そういうのがすべてだなんて思わなくていいです。

夢も希望も持てなくても、夢が叶うことがあるんだ。何の役にも立たない、社会のお荷物なだけの自分にも、やりがいを持てる仕事があるんだと私が知ったのは30歳現在です。

周りはどんどん自分の道を見つけて、進学・就職、結婚などをしていく。もしくは、若くしてフリーとして独立したり起業したりと、個人で働く人もどんどん出てくる現代。

あなたはそんな中、自分のやりたいことや好きなこと、夢や野心のようなものが持てず「自分はこのままでいいのだろうか」と落ち込んでいませんか。

筆者は、自分の好きなことややりたいこと、将来の夢など何もないまま生きてきて、29歳くらいになってようやく「自分はこれをやるべきだ」と思える職業に出会いました。

それくらい「自分の好きなことで生きていく」というのは難しい……というより、そんなことは不可能なのではないかと考えています。この記事では、私が好きな仕事ができるようになるまでにやってきたことや、感じてきたことを赤裸々に書いて行こうと思います。

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【10代】やりたいことなんかない、夢ってどういう意味かもわからない

10代……というよりも、中学生の段階で私は将来に絶望していました。幼稚園の頃からファッションデザインの仕事に憧れていて、中学生のときもファッションのデザインや服飾技術を学ぶ学校に進みたかったのですが、家庭の経済状況がよくなかったため希望は叶いませんでした。

希望が叶わなくても、学校からは「将来のビジョンを書いて提出しなさい」と言われ、無理やり絞り出すようにして「深夜のお笑い番組をよく見るので、テレビの放送作家になるために〇〇県立大学に進学したいです」と書きました。なんだそのビジョンって、蹴っ飛ばしたくなるような内容で思い出すだけでも嫌です。

それまではたしか「第一希望の進路に進めないことがわかったから、提出したくない」というようなことを言っていたんです。しかし、私が〇〇県立大学に進むという嘘の進路設計を出すと、担任の先生も親も「よかったね~!」と言ったんですね。

そのときの気持ちを、今でもはっきりと覚えています。無理やり取り繕った夢や将来設計を、なぜ強制的に報告しなければならないのか。そして、それを読んで大人が喜ぶってなんなんだろうって思いました。その直後から受験の準備が始まり、私はうつ状態になって無気力になり学校に行けなくなりました。

15歳で「進路」の壁にぶつかり、心身をこわす

中学3年生の秋から冬にかけて、今まで楽しいと思っていたこともめんどうになり、学校に行くことができなくなりました。親子関係も悪かったので、思春期の進学や進路の問題に輪をかけてストレスがかかったのかもしれません。

結局受験もできず、自分ではじめて「行きたい学校はないので、自分で勉強できる通信制高校に行きたい」と親に願いました。親にもなかなか賛同してもらえず「お前は絶対に卒業できない」「卒業できたらお前を尊敬してやってもいい」と言われ、悔しくて悔しくて、それを見返すためだけに勉強しました。今から15年も前の話ですが、その当時から通信制高校を3年で卒業するなんてまったく高いハードルではありません。自分のペースで、決められた単位をコツコツとれば誰でもできます。アルバイトをしながらでも、ちゃんと3年で卒業できました。

ただ、通信制高校は月に1度しか学校に行かないので友達なんてものはなかなかできません。やりたいことも相変わらずない、夢や希望ってなんだろう。周りの子が大学や専門学校に入学していく中、私は親元を離れるために当時付き合っていた彼氏の実家に転がり込み、ふたりでお金を貯めて同棲をはじめ、18歳になってすぐ「やりたいこと」から逃げるように結婚しました。

10代のころ感じていた「やりたいことがない」という劣等感

10代の頃は、周囲の友達が学生生活を謳歌している頃です。大学のサークルの話や、ゼミの話、就活、合コン、飲み会、ファッション、ランチ……そういった「遊び」をしている友達とはやはり合わなくなっていきます。私はやりたいことから逃げるように結婚し、アルバイト生活をしている身でしたから、自分に劣等感や負い目を感じていました。

当時SNSはミクシィが主流でしたが、今と同じくリア充らしくキラキラとした投稿をする人も多かったものです。私はだんだんとそういうものを見るのをやめて、内にこもり「ダメな方の人生」「裏側の人間」のような気持ちで生きていました。ときどき、そういうモヤモヤを無料ブログサービスや、ミクシィの裏アカウントに書いたりもしていてひどく暗い人間でした。

普通に生きているだけでもいい。親元を離れ、夫もいて、アルバイト先でそれなりにやって、生活できている。それだけで十分だと頭ではわかっていますが、どうしても学歴・職歴・将来ビジョンをもっていない自分が情けなくて、恥ずかしい存在であると思っていました。そして19歳で息子を授かりますが……とにかくお金がない。

学歴もない、手に職もない、おまけにお腹に子供までいる。当時21歳の夫の給料でギリギリ生活できていましたが、子供が生まれるとなると不安は募ります。持っていた自分の車を手放し、家賃4万円の古い家に引越して生活コストを最低限に下げることにしました。それでもまだまだ子育てをするのに十分なお金はなく、私は妊婦でもできる仕事、家で月に数千円でも稼げる内職を……と探した結果、辿り着いたのが「WEBライター」という仕事でした。

【20代】やりたいことなんかない。できることが、これしかない。

息子を妊娠中は、とにかく「何に使うのかもわからない文章」を書いていました。

  • 〇〇という芸能人について書いてください
  • 日記みたいな感じで良いので書いてください
  • 〇〇について、なんでも良いので書いてください

「これ、何の役に立つのかな……」と自分でもうんざりするような文章を書いていました。でも当時は、とりあえずこれでお金がもらえるならなんでもいいや、というそれだけの気持ちで書いていました。

もともと、文章を書くのは得意でしたし、作文も好きでした。ブログやミクシィで文章を書いていたこともあったので、あまり「大変」という感覚はありません。しかし、別に好きでもないし嫌いでもないという感じです。というよりなにより、これしか自分にはできることがないので、やるしかないという気持ちの方が圧倒的に強かったです。

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【20歳~23歳】子育てに没頭し、パートをする。やりたいことどころでなくなる

息子が赤ちゃんのうちは、日中子育てをして、子供が寝たら記事を書くという生活をしていました。この頃には、少しだけ中身のある文章の仕事がもらえるようになり「手作業内職よりもちょっといい感じ」という程度の収入を得ていました。昔熱心にやっていた習い事が活かせる記事を書かせてもらったりして、少しステップアップしたという感じです。しかし、頭は疲れるし子供はちょっとした物音で起きるしで、なかなかうまくいかずさすがにしんどい。

もちろん「やりたいことをやっている」なんて感覚はみじんもありません。ただ、お金のために、少しでも小銭が欲しい。そのためには「これしかできることがない」のでしがみついていたんです。

しかし、日中子育てをして、子供が寝てから記事を書くという仕事は本当にしんどくて、さすがに無理だと夫に話してしばらく専業主婦に戻ります。

そして息子が3歳になったのを機に、幼稚園の満3歳児クラスに入園させてパートに出ることに。

当然やりたい仕事なんてありませんし、そもそも主婦は仕事を選べません。7件の面接をして唯一受かった飲食店で、パートをすることになります。しかし、子供が病気をして何度も仕事を休んでしまうし、子供が環境の変化で荒れてしまい癇癪がひどくなったり体調を崩しやすくなったりとまったくいいことがありませんでした。

早々に見切りをつけて、息子が4歳になるころにまたWEBライターの仕事に戻ることにしました。

このとき「自分には、本当にできることがないなぁ」と痛感しました。そのため、正直なところWEBライターに戻るのは屈辱でもありました。

子供の有無に関わらず、外で働くのが真っ当な普通の大人であると思っていたし、収入の面でも雲泥の差がありました。自分の母親が、フルタイムの正社員でずっと働きづめだったことも、こう感じてしまう理由だったかもしれません。

夢もやりがいもない自分の人生は、いつも裏面みたいだった

みんなどこか外に出て、人と接し、楽しそうに働いているように見えていました。同じ女性でも、都会の百貨店やデパートで店員さんとして働いたり、エステティシャンとして働いたり、大手企業に就職したり、大学院に進んだり。いろいろつらいこともあるだろうし、愚痴を吐くこともあるはず。キラキラしているばかりじゃない。でも、私よりは数倍輝いて見えました。

そういう人生が普通だと思っていたので、私は「はみ出しもの」や「落ちこぼれ」という感覚でした。たぶん、やろうと思ってもできなかったかもしれないとも思うようになり、まずます自分の価値は下がっていきます。

子育ても家族も大好きだし、自分で選んでやってきたこと。でも、私としては「できることが、これしかない」「選べない」「やりたいことなんか、どうでもいい」という感覚でしかなく、夢とか将来のビジョンとか、そういうものは私の中でSFとか、未確認生命体とか、都市伝説みたいに実感のわからないものでしかありませんでした。

常に裏面の人生を生きていて、表面(普通)を堂々と生きることはできない人間なのだと、強く思っていました。

「私という人間がここにいる意味がない」と泣いた

その頃、夫と仕事について話したことがありました。夫も、やりたい仕事をあきらめてきた人間です。私や息子との生活のために、たまたま縁があった製造業の工場で働いています。

夫は仕事のストレスでひどいアトピーを起こし、体中のかゆみと皮膚のめくれなどに悩み、一時期は顔もボロボロになり部屋から出てこなくなりました。

とりあえず仕事には行ってくれていましたが、マスクと帽子とメガネがないと人に会うこともできないし、誰とも関わりたくなかったのでしょう。何より体中の皮膚、頭皮まで肌荒れを起こしているのに、毎日が楽しいわけがありません。私も子育てがあるとはいえ、自分にできる仕事がなかったこの時代は本当に苦しかったです。目の前で苦しんでいる夫に、何もしてあげられることがないのです。

そんな彼はある日、自分もちゃんと生活の足しになる仕事をもちたいと言う私に「俺は仕事がつらすぎる。君はこんな思いしてまで仕事をもつ必要ない。」と言いました。

今思えばこれ以上ない優しさであることはわかるのですが、私はそのとき「それでは私という人間がここにいる意味がない」と言って泣いたのを覚えています。本当に私は、自分が暗くて、恥ずかしくて、情けない存在でしかなく「できることがない」「やりたいこともない」「目の前の人の役にすら立てない」ということに恐怖さえ感じていたのです。

23歳~25歳で、WEB業界が活性化しだす

23歳のころから、パートをやめて再びWEBライターの仕事をはじめます。なんと数年の間に、WEBの市場が拡大していて以前よりも仕事の量も種類も豊富になっていました。

23歳~25歳の間に、私は平日の4~5時間程度で、月収7万円程度を安定的に稼げるようになっていました。もちろん、好きな仕事でもやりたいことでもない仕事です。ただ、文章を書くのが苦ではない……といったところが、私の武器だったのでしょうね。

ただ、このころは普通に、ただただ言われたことをやっているだけでもこの程度の金額を稼ぐことができていました。まだまだ「やりたい仕事」ではなく「今の私に、唯一できる仕事」だという意識しかありませんでしたし、子供がある程度自立する頃には、またパートに出るのだろうと思っていました。在宅といっても、それくらいにはしんどい仕事だったからです。

そして25歳になるころに夫の体調が少し改善し、給料も少し上がりはじめます。私は2人目の息子を出産し、再び専業主婦生活を3年間やりました。

そして、下の息子が3歳になって再びWEBライター業界に戻ってみると、さらに市場が広がっていて「WEBライターを目指す人」が増えているという状況になっていました。SNSにはWEBライターを名乗る人がゴロゴロといて、情報交換や発信をしたりしているではありませんか。

ずっと「自分には、こんなことしかできることがない」としがみついてきたものが、今になって求められる仕事になるなんて。今やWEBライターで月収何十万を稼ぐ人なんてめずらしくないと知り、私はここでようやく「本気でやろう」と思えるようになりました。主婦の在宅ワークという枠を超えて、自分ができることは家で文章を書くことしかないんだから、その中ではなんでもやろう。選り好みなんかしないで、とにかくできることは片っ端からやろうと決めました。

27歳~29歳は、できる仕事を片っ端からやった期間

この時期は本当に、興味や自信のあるなしに関わらず片っ端から仕事を受けていく時代でした。自分が「こんなことしかできないけど、何かの足しになれば」と思ってやってきたことが、今求められている。しかも、ちょっと調べれば文章の上達方法から仕事のとり方、レベルアップの仕方まで全部検索で出てくるようになっていて、驚きました。ただただそれが嬉しいというか、やってきたことも感じてきたことも無駄ではなかったと思いたい一心だったように感じます。

SEOライティング、個人ブログ代筆、アフィリエイト記事、商品レビュー記事、メディア制作の補助。ジャンルや単価に関わらず、できそうな仕事はすべて請け負う「量産型ライター」となっていきました。これでも全然すごい位置などではなく、いわゆる一般的なWEBライターの仕事という感じです。しかし、ネットの市場拡大とSNS市場の拡大によって、私が「これしかできないから」やっていたこと、そしてやり慣れていたことが大きな強みになっていったわけです。

29歳~30歳で突然「やりたいこと」が仕事になった。

量産ライターをやっている中でふと、他のライターさんと交流してみたくなりtwitterをはじめました。最初は「集中できない」とか「こんな案件あったけど、怪しいかな?」というようなことをつぶやく程度でした。仕事の息抜きという感じですね。特に友達ができるというわけでもなく、ただ言葉を吐き出す場所でした。

ただ、私はその頃から「ライターとして、使い捨てのように記事を書くよりも自分で発信をした方が将来的には安定するのではないか」と思い始めます。私が書いた文章をお金を払ってくれる方がいるのなら、自分で書いてメディアを立ち上げてもいいのではないか……そう思うことも増えていったのです。

そこでtwitterでも、少しずつ自分の色を出し、個人的なつぶやきではなく「自分と同じように悩んでいる誰かに向けて」文章を書くようになっていきました。

それと同時に個人ブログも立ちあげました。個人ブログの立ち上げに経費はほぼかかりません。自分の気質や性格、心理に関する事、子育てをする中での発見や問題、私が子供の頃に感じていた違和感や問題をネタに発信していたんですね。どうしても言わずにはいられないというか、書かずにはいられないという気持ちが強く、これも仕事の息抜きとしてやっていました。

少しの広告収入を期待してはいましたが、何しろシステム系に弱いのと「悩んでいる人に何かを言いたい」という感覚の方が大きかったので、特に収益は発生しないまま。

そのブログを読んでくれて、声をかけてくれたのがこのメディアの編集長です。編集長が私のブログを読んでくれて、少しずつ交流が深まり、彼女が立ち上げたライターチームに参加したり、一緒にメディアを立ち上げて仕事をしたりする仲になりました。

彼女が誘ってくれたライターチームは結局すぐに解散してしまったのですが、その一員として発信していたことで電子書籍出版のお声もかけていただき、作家としての仕事もできるようになりました。

さらに、一貫して「子育て」や「家庭問題」などのテーマについて発信していたことで、他の子育てメディアさんからのお声がけも頂けるようになりました。

今は、仕事を選べる立場にあります。もちろん、夫婦共働きという安定感の元にある余裕ですし、お金のための仕事と、やりたい仕事を並行してもいます。

ただ、完全に「これしかできない」が「これがやりたい」に変わった瞬間を体感しました。

目の前の問題に全力を注いだ自分が「やりたいこと」を与えてくれた

30歳を少し過ぎた今、ようやく「やりたいこと」や「好きなこと」が少しわかるような気がしています。ただ、本当に好きなだけで動いているかというとそうではなく、むしろ「苦しいことをなんとかしたい」という思いの方が強いのです。

10代や20代前半で「やりたいことがない」「好きなことがない」と思って悩んでいる人に伝えたいのは、10代や20代でやりたいことがはっきりしている人の方がもしかして少ないのではないか、ということ。

私は「自分のできないことへの拒否反応」がすごく強く、適していない道が自然と経たれていくような部分があったのです。

やりたいことよりも、できないことの方に目を向けて「じゃぁ、何ならできるのか」を考えて実行するほうが、長い目で見た結果「自分にしかできないこと」に繋がっていくケースもあるということです。

「自分にはこれがある」とはっきり言える人は、それを武器にして人生を切り開いていけばいいと思います。しかし、逆に「自分にはなにもない」「自分にできることなんて、こんなことしかない」と思う人だって多いはずなんです。

誰もがみんな100%楽しい仕事をしているはずがありません。そして、結果的に好きな仕事に就けても100%好きな業務だけしているわけにはいきません。

最終的に自分がやりたいことを達成するためには、やりたくないことや苦手なことにも目を向けていく必要がある。そして、頑張ってみたけど無理だったことは自分に合っていないから、手放したり他の方法を試すなど、視点の切り替えも必要です。

やりたいことなんて、今なくてもいいんです。私は30歳になってようやく自分のやりたいことに出会いましたが、少し前までは一生「何もできない自分」で生きるつもりだったので、予想外過ぎて申し訳ないくらいの気持ちです。長かったなという感じはしますが、本当に自分はさまざまな縁に恵まれていたと思っています。

好きなこと、やりたいこと、夢、野望、将来のビジョン、そんなのなくてもいいです。ただ目の前の自分の生活や、目の前の大事な人、家族、友達、恋人を大事にして「こんな自分でも、なんとか生きていきたい」「ちょっとでも、目の前の人の役に立ちたい」というような動機から動いていけばいいと思います。自分のためよりも、誰かのためのほうがバイタリティが出る人は一定数いるし、そういう人にはやりたいことが、後からついてきます。お金も、あとからついてきます。

夢というのは、想像していた形とは全然ちがうもので「あぁ、なんか昔漠然と『こうだったらいいのにな』と思っていたものってこれかも?」という程度、ほとんど実感のないものなんです。

だから10代や20代で「夢に向かって!」なんて飛び出そうとしなくてもいいと思います。目の前のこと、今これしかできないと思うものをやってみて、いつか「これで良かった」と思える日がくることを、心から願っています。/Kandouya編集部

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